大槻分校は、かつて熊本県球磨郡球磨村にあった高沢小学校の分校です。
大槻分校は、1982年(昭和57年)に廃校となっています。
現在も木造校舎が残るのは、キャンプ場として再利用されていたためです。
大槻分校
本校の高沢小学校も、2004年(平成16年)に廃校となっています。
たどり着くには、渡地区から登るルートが最も早く着きます。
一勝地地区から、高沢地区を経由するルートもあります。
さらに、神瀬地区から大岩を経由して登るルートもありますが、こちらは林道経由で、少し時間がかかります。
いずれにしても、狭い山道を通るルートになります。
大槻地区は、いかにも山村の集落といった様相で、とても静かでよいところです。
校舎は、こぢんまりした平屋の木造校舎です。
キャンプ場
キャンプ場といっても、近代的設備はありません。
合宿所といったほうが、しっくりくるかもしれません。
しかし、山奥で誰にもじゃまされずキャンプを楽しみたい方にとっては、理想的だったと思います。
しかし、大槻キャンプ場は閉鎖となり、キャンプ場としての役目も終えるのかもしれません。
夏目友人帳の聖地
近年、SNSなどでの露出が多かったのは、夏目友人帳の風景の舞台となっているためです。
聖地巡礼については別記事にしています。是非、ご覧ください。↓
廃校の経緯
昔は、林業や山産物で生計を立てるため、山奥に集落がたくさんありました。
特に、球磨村のように平地が少なく、大部分を山林が占める市町村では、谷ごとに集落があったものです。
しかし、相対的に木や山産物の価格が下がり、生計が立たなくなっていったため、若い人たちは山を下りざるを得なくなりました。
大槻地区では、1980年代にはすでに、児童数が減少していたのだと思います。
プールは防火水槽として再利用されています。
掲揚台はポールが外され、国旗も校旗も再び上がることはありません。
遊具は閉校当時のものではないと思います。
運動場の木の成長が、歴史を感じます。
分校前のお宅も、人の気配はありません。
沿革
1908年(明治41年) | 高音尋常高等小学校大槻分教場として創立 |
1913年(明治46年) | 高沢尋常小学校へ移管 |
1925年(大正14年) | 高沢尋常高等小学校大槻分教場へ改称 |
1941年(昭和16年) | 高沢国民学校大槻分教場へ改称 |
1947年(昭和22年) | 神瀬村立高沢小学校大槻分校へ改称 |
1954年(昭和29年) | 球磨村立高沢小学校大槻分校へ改称 |
1982年(昭和57年) | 廃校 |
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