多良木相良氏関連史跡 相良家700年以前の歴史
最初に人吉球磨地域に入国したのは多良木荘の相良頼影であり、もともとの相良家の宗家(そうけ・本家)は多良木相良家でした。相良氏が最初に当地へ入ったルーツが多良木相良氏関連の史跡で確認できます。残念ながら、球磨川の改修工事で頼影館の建物は現存しません。
最初に人吉球磨地域に入国したのは多良木荘の相良頼影であり、もともとの相良家の宗家(そうけ・本家)は多良木相良家でした。相良氏が最初に当地へ入ったルーツが多良木相良氏関連の史跡で確認できます。残念ながら、球磨川の改修工事で頼影館の建物は現存しません。
中山観音堂は昔、この地にあった中山寺の本堂でした。ご本尊の聖観音菩薩立像は、慈悲の心であらゆる人々の苦しみを救うといわれています。また、安産を守る仏様です。旗や鐘の尾(鰐口を鳴らす木綿の布)などを奉納し、それを頂いて腹にまくとご利益があるということです。
相良三十三観音霊場28番札所、中山観音堂の入り口から5〜6百メートルあさぎり町側へ進んだところにある神社です。道沿いの大きな白い鳥居が目印です。多良木町奥野といえば、球磨焼酎「白岳」発祥の地でホームグラウンドです。白木神社の鳥居や石燈籠が立派なのもわかるような気がしました。
岩屋熊野座神社は、熊本県人吉市にある、国指定の重要文化財です。国の重文となるほど文化的価値が高く評価されています。鳥居、社殿、そして立地の3点に、他にはない特徴がみられます。相良家初代長頼が建てて以来、人吉藩としても重要な位置づけにありました。
鵜口観音は、相良三十三観音霊場の5番札所となります。鵜口あたりは、球磨川を水路として利用していた時代の交通の要衝でした。鵜口観音堂は、球磨川を見渡す場所にあります。球磨川を行き交う物流船や渡し船の、交通安全と水難防止を願ったものといわれています。
球磨郡最古の寺院「平等寺」のご本尊を収蔵する須恵阿蘇釈迦堂。古くに平等寺は本堂のほかに薬師堂、地蔵堂などがあり壮大だったといいます。あたりには、阿蘇神社、護王神社、山王神社の3社があり、一帯は一大聖域をなしていたと伝えられています。
大平渓谷は 清流の渓谷と大平の滝があり、 夏場は涼しさを求めて多くの人が集まるスポットです。渓谷にはキャンプサイトが作られ、アウトドアファンの間では無料キャンプ場として知られています。 予約不要・申込不要というか不可のキャンプ場です。
2004年(平成16年)五木村の中心部「頭地(とうじ)」にオープンした道の駅です。例年、紅葉シーズンには大盛況となります。現在の頭地は代替地に計画的に造られた町になります。そのため、観光施設が国道445号線沿いに集中して立地します。
球磨村にはマニアックな夏目友人帳聖地が散らばっています。山道が多くせまいのが難点です。自分の車で行けない人は、 タクシーをチャーターするかレンタカーを借りましょう。レンタカーは小さいタイプがいいと思います。対向車には十分ご注意をお願いします。
ご祭神は、龍神さまの化身といわれる7か所に穴のあいた巨石です。龍神さまは、水神として有名ですが、ハナグリ石神社の龍神さまは、家運隆盛、商売繁盛、金運、進学就職の合格祈願、縁結び、病気の全快など、あらゆる願い事にご利益があるといわれています。
秋時観音 (あきときかんのん) 堂は相良三十三観音霊場の30番札所になります。秋時観音は「ボケ封じ」にご利益があることで有名です。また、観音様がご開帳される秋の彼岸には、健康祈願に多くに人が訪れます。妊婦や家畜を守ってくださることでも有名です。
宮原(みやはら)というのは宮原観音堂があるあたりの地名です。一時期は岡原観音堂とよんでいましたが現在は旧来からの呼称、宮原観音堂とよんでいます。相良三十三観音霊場の29番札所となっています。相良三十三観音廻りは日本遺産人吉球磨の構成文化財38番となっています。