九州南部の戦争遺構 大戦を後世に伝える物証 まとめ
日本が戦争を体験してから、80年近く経とうとしています。戦時下を生で体験した方にとっても遠い過去の記憶となり、またその人数も少なくなってきています。そんななか、戦争遺構が見直されてきたのは、その歴史を見たままに後世に伝える物証だからです。
日本が戦争を体験してから、80年近く経とうとしています。戦時下を生で体験した方にとっても遠い過去の記憶となり、またその人数も少なくなってきています。そんななか、戦争遺構が見直されてきたのは、その歴史を見たままに後世に伝える物証だからです。
北薩地域は、黒潮が北上する東シナ海沿岸と川内川がつくる谷と平野に加え、長島や甑島などの離島とバラエティに富む地形です。その分自然の恵みを受けて、バラエティに富む特産品を生み出しています。
巨田神社(こたじんじゃ)は、宮崎県宮崎市佐土原町にある神社です。本殿は宮崎県で唯一、室町時代中期の建築様式を残します。建造物のみならず、独特の巨田神楽や鴨網猟も含め歴史的価値が評価されています。
姶良伊佐地域は、霧島山に抱かれる温泉地帯です。伊佐市は「鹿児島の北海道」といわれるほど、冬になると南国とは思えない気候になります。ミネラルたっぷりの土壌で、豊かな農産物を育んでいます。
平南(へいなん)小学校は、かつて鹿児島県鹿屋市輝北町にあった公立小学校です。2015年(平成27年)からは民間会社が借受けています。現在の平南小学校の役割は、県産さつまいもの関東や関西への出荷基地です。校舎は社屋、体育館は作業場、運動場には農作物用のカゴが積まれています。
鹿児島県の大隅地域は東部に太平洋、西部に錦江湾があり海の恵を受けています。内陸部はシラス台地ですが、かんがい用水がひかれ食料供給基地となっています。財宝温泉水やねじめびわ茶は、訪れると普通に自動販売機で売っていますが、大隅半島を離れると手に入りにくかったりします。
平川小学校は、かつて鹿児島県薩摩郡さつま町にあった公立小学校です。清潔感あふれる真っ白い校舎と、運動場にある大きなセンダンの木が印象的でした。掲示板に残された「大好き!平川小学校」の文字が、生徒たちに愛されていたことを物語っています。
比木神社は、宮崎県児湯郡木城町にある神社です。古くからこの地域で篤く信仰されてきました。特に江戸時代には、高鍋藩の宗教策の中心的祈願神社で、藩内で最も篤く尊崇されました。現在も、児湯地域東部住民の守護神です。
記事にした熊本県のスポットを、地域別に振り分け市町村別にまとめたものです。特に県の南部には有名な観光地があまりないので、マイナースポットばかりになりました。訪れるかどうかは別として、記事をながめるだけでも暇つぶしにはなるようにしています。
宮崎県は新婚旅行の黎明期(れいめいき)に、たくさんの観光客が訪れていた観光の先進県です。当時、日本のハワイといわれた風景は今も変わらず、観光資源は進化を遂げています。さらに、内陸部の道路改良も進み、昔は秘境といわれた九州山地の山村も観光地化しています。なんといっても県民の方が観光客を歓迎してくれるので、訪れると幸せな気分になれます。
高岡町立内山小学校は、かつて宮崎県宮崎市高岡町にあった公立小学校です。学校跡地は、高岡町内山体育館となっています。ずいぶん昔、1965年(昭和40年)には閉校となっています。跡地にはほんの少しではありますが、学校だった形跡が残っていました。
鹿児島県は、九州南部どころか本土最南端の地です。島津氏の安定政権のもとで、独立国のような文化が育まれ、独特なスポットが点在しています。鹿児島弁はもはや方言ではなく、独自言語です。ろん観光にも力を注いでおり、各地に魅力的なスポットがあります。あまり知られていないスポットやマニアックなスポットも多いので、ぜひチェックしてみてください。