責分校 熊本県八代市坂本町鮎帰地区のさらに奥山にあった小学校
責分校は、かつて八代市坂本町にあった鮎帰小学校の分校です。閉校後も木造校舎が残っていましたが、残念ながら解体されてしまい、もう見ることはもうできません。しかし、素晴らしい風景と校庭や分校の記念碑が現存しています。坂本町の道路網が復旧したら、また訪れたい場所です。
責分校は、かつて八代市坂本町にあった鮎帰小学校の分校です。閉校後も木造校舎が残っていましたが、残念ながら解体されてしまい、もう見ることはもうできません。しかし、素晴らしい風景と校庭や分校の記念碑が現存しています。坂本町の道路網が復旧したら、また訪れたい場所です。
鮎帰小学校は、かつて熊本県八代市坂本町鮎帰にあった、公立小学校です。2003年(平成 15 年)に、同校の責分校とともに、八竜小学校へ統合されています。令和2年7月豪雨で大災害のあった旧坂本村ですが、鮎帰小学校のそばに油谷川が流れているのが気がかりです。
鹿屋市鉄道記念館は、鹿児島県の国鉄鹿屋駅跡にある鉄道記念館です。1987年(昭和62年)に廃線となった、旧国鉄大隅線の歴史を今に伝えています。サブタイトルは、大隅鉄道「鹿屋驛(えき)」で、キハ20 441号機が静態保存されています。
高隈ダムは、鹿児島県鹿屋市にあるかんがい専用ダムです。不毛のシラス地帯だった笠野原台地に農業用水を送っています。農林水産省の直轄ダムで、大隅半島では最大規模のダムとなります。ダム湖は「大隅湖」と名付けられています。鹿児島県有数のバス釣りスポットです。
志布志市鉄道記念公園は、国鉄時代の志布志機関区跡につくられた公園です。大隅線と志布志線が廃止された当時、機関区にあった車両が静態保存されています。旧志布志駅は大きな駅でした。現在のJR日南線の志布志駅は、貨物の引込線を利用し、新設されたものです。
都井岬は、宮崎県串間市にある岬です。日本唯一の野生馬生息スポットとして知られています。絶景の中、あちこちに草を食べている馬がいて、一瞬、非日常の世界に迷い込んだような錯覚におちいります。馬と絶景のほかにも、魅力的なスポットが集まっています。
1960年代、宮崎は新婚旅行ブームに沸いていました。都井岬にも、全国から観光客が詰めかけます。ピークとなった 1974年には、年間70万人もの人が、都井岬を訪れていました。しかし、ブームは過ぎ去り 観光客は減少に転じます。
御崎神社(みさきじんじゃ)は、宮崎県串間市の都井岬にある神社です。周辺はソテツの自生林となっています。縁結びと海上安全・航海安全の神さまです。本殿は断崖絶壁の上にあり、安全な遥拝所で参拝します。いったんは合祀遷座されたものの、住民の切望により複社しています。
四浦というのは、熊本県球磨郡相良村にある一地区です。四浦阿蘇神社は、四浦村民のよりどころでした。現在も四浦地区の村社であり、地域の氏神さまです。あわせて、令和2年7月豪雨による、四浦地区の状況も記事にしておきます。
八代市の国指定名勝といえば、松浜軒(しょうひんけん)を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、「水島」をわすれてはいけません。地味ながらも、妖火「不知火(しらぬい)」とともに、国の名勝として指定されているスポットです。
井牟田小学校はかつて、熊本県葦北郡田浦町にあった町立小学校です。1996年(平成8年)に田浦町立田浦小学校と統合し閉校となっています。2005年(平成17年)には、田浦町と芦北町が合併しました。跡地の住所は芦北町大字井牟田となっています。
令和2年7月豪雨から2週間がたち、町は復旧に向けて動き出しています。被災した方たちの疲れも見えはじめていますが、多くのボランティアの方に助けられ励まされています。心から感謝申し上げます。一番心配しているのが鉄道資産の復旧です。今回は、鉄道被害に的を絞ってみました。