竜ヶ城磨崖梵字

竜ヶ城磨崖梵字 蒲生氏の山城・蒲生城と戦国時代の争乱

竜ヶ城磨崖梵字(りゅうがじょうまがいぼんじ)は、鹿児島県姶良市にある史跡です。

竜ヶ城磨崖梵字

蒲生(かもう)城の崖には、1700文字にもおよぶ梵字が刻まれています。

梵字とは?

竜ヶ城の岸壁

蒲生城は1120 年頃、蒲生氏が築いた山城です。

竜ヶ城の岸壁

竜が伏せたような地形をしていたことから、別名「竜ヶ城」とよばれました。

竜ヶ城磨崖梵字のある崖地

竜ヶ城の山の斜面は、険しい崖状の地形になっています。

竜ヶ城磨崖梵字

その岩肌には、1700字もの梵字が刻まれています。

竜ヶ城磨崖一千梵字仏蹟の説明板

1カ所にまとめてあるものとしては、日本最多の磨崖梵字といわれています。

竜ヶ城磨崖一千梵字仏蹟

そもそも、梵字というのは古代インドの文字記号です。

竜ヶ城磨崖一千梵字仏蹟

竜ヶ城に刻まれた梵字は、ひとつひとつが仏さまを表しているといわれます。

竜ヶ城磨崖梵字

つまり、竜ヶ城の崖には、1700 体の仏さまが刻まれているということです。

竜ヶ城磨崖梵字の横穴

地元では「聖仏」とよばれ崇められてきました。

竜ヶ城磨崖梵字の横穴

蒲生氏

竜ヶ城磨崖梵字の横穴

鹿児島神宮の大宮司藤原氏の一族であった藤原舜清は、大隅国蒲生院に蒲生城を築き、自ら蒲生氏を名乗り領主となりました。

竜ヶ城磨崖梵字の横穴

鎌倉時代から室町時代にかけては、守護職である島津氏との関係は良く、家老を務めるほどでした。

竜ヶ城磨崖梵字 危険な山道

島津家に内紛が起こると、 肝付氏らと組み島津宗家に対抗姿勢を見せるようになります。

竜ヶ城磨崖梵字 危険な山道

戦国時代になると、立地的に大隅国と薩摩国の境界にある蒲生は、争いが絶えませんでした。

竜ヶ城磨崖梵字 休憩用のベンチとテーブル

豊臣秀吉の九州討伐のさい蒲生氏は、密かに独立を画策したとされ島津義久に自害させられました。

蒲生郷
蒲生郷

江戸時代の外城・蒲生郷は、城下町に置かれた地頭仮屋を中心としたものです。

竜ヶ城磨崖梵字 | 見学時の駐車スペース
竜ヶ城磨崖梵字 | 見学時の駐車スペース

心霊スポット

竜ヶ城磨崖一千梵字仏蹟 入口の標柱

竜ヶ城磨崖梵字にたどり着くには、ちょっとだけ山道を歩きます。

竜ヶ城磨崖一千梵字仏蹟 入口

山登りが趣味の人なら、 全く苦にならない程度です。

竜ヶ城磨崖梵字までの階段

ただし、 崖の周辺は崩落個所があり、落石の危険があります。

竜ヶ城磨崖梵字

夜間訪れるのは、とてもおススメできません。

竜ヶ城磨崖梵字 危険な山道

昼間でも大雨の後や積雪時などは、滑落の危険がありやめておくべきです。

竜ヶ城磨崖梵字 危険な山道

しかも、心霊スポットとのうわさがあります。

竜ヶ城磨崖梵字 危険な山道

目撃される霊は以下のようなものです。

槍を持った鎧武者

斬首された遺体

助けを求めてくる女性

蒲生城の周辺は、戦のたびにたくさんの戦死者で埋め尽くされました。

竜ヶ城磨崖梵字までの山道

磨崖梵字までの山道もおそらくは、戦国時代の戦場だったことでしょう。

竜ヶ城磨崖梵字までの山道

場所 鹿児島県姶良市蒲生町下久徳字 2562-1

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