澤田神社は、鹿児島県曽於市にある神社です。
実は境内では不思議な事象や事件が報告されている、ミステリースポットでもあります。
由緒
創建年代は記録がなく不詳ですが、平安時代の後期と推測されています。
豊前国(現在の大分県)、宇佐八幡を勧請したと伝わります。
棟束からは、戦国時代 1519年に時の領主・新納近江守忠武により再興されたことがわかっています。
1599 年には、 庄内の乱に際して、 島津義弘・忠恒が神領 20万石を寄付しています。
日向国庄内 (現在の宮崎県都城市周辺)で起きた、島津宗家と重臣・伊集院氏との争乱。
島津家家中最大の乱といわれる。 徳川家康の仲介によって解決した。
澤田池
参道途中にある社前の池を 澤田池といいます。
お参りすると災難・水難を除かれるといわれています。
澤田神社の面
澤田神社には、奉納面3面、 神舞面4面、 あわせて7つの面が残されています。
社宝であり、 曽於市指定の文化財です。
お面は財部郷土館でみることができます。
場所 | 鹿児島県曽於市財部町南俣460-1 |
開館時間 | 9:30~18:00 |
休館日 | 月曜日・毎月第3水曜日 |
入館料 | 無料 |
TEL | 0986-72-0946 |
HP | 曽於市財部郷土館 |
ご祭神
- 帯中日子命(らしなかのなかひめのみこと・仲哀天皇)
- 息長帯毘賣命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)
- 天手力男命 (あめのたぢからおのみこと)
異常現象
- 仮面をつけた何者かが境内をうろついていた
- 顔のない女性と女児が社殿から現れた
- 人魂に追いかけまわされた
この地域は日向国と大隅国の境界が近くにあります。
戦国時代には、三州統一を目指す島津氏も薩摩国から入っています。
高山城を本拠とする肝付氏や、 都之城を本拠とする北郷氏なども入り乱れ領地争いをしていました。
因果関係ははっきりしませんが、 戦国時代の争乱が異常現象につながっているという説もあります。
戦後の怪事件
終戦直後、境内で数十人の惨殺遺体が発見されたと伝わります。
現場にはたくさんの足跡が残され、社殿まで続いていました。
しかし、なぜか境内の外には足跡がなく、それらしい痕跡すら残されていません。
終戦直後の混乱期ということもあり、 物取り集団による事件として処理されています。
結局、 犯人は捕まっていないといいます。
惨殺遺体は、目をくりぬかれ、舌を抜かれ、皮膚もはがされており、 とても人間の仕業とは思えない状態だったといわれています。
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