責(せめ)分校は、かつて八代市坂本町にあった鮎帰小学校の分校です。
閉校後も木造校舎が残っていましたが、現在は解体されていて学校跡のみが残ります。
責地区
鮎帰小学校からさらに油谷川をさかのぼります。
責地区は、九州自動車道肥後トンネルの八代側出入り口がある地区になります。
県道17号坂本人吉線は、この先が未開通区間となります。
令和2年7月豪雨後は、九州州自動車道肥後トンネルの出入り口付近に、責地区への出入り口が設けられていました。
ただし、九州自動車道へ出入りできるのは、鮎帰地区の方のみとなっています。
校舎跡
すばらしい木造校舎が残っていましたが、残念ながら老朽化のため解体されました。
分校跡のとなりの建物は消防団の詰め所です。
八代市の乗合タクシーの停留所となっていて、坂本地区まで毎日定期便が運行されています。
校舎跡の横には小さな橋がかかっています。
分校の横を流れる油谷川の対岸には、プールがありました。
現在はプールの上に、責河原谷の公民館が建てられています。
まとめ
貴分校の校舎をもう見ることはできません。
校舎の解体前に、一度写真をとっておくべきでした。
しかし、校庭や学校跡の記念碑などは現存しています。
周辺の景色もすばらしいので、見るべき価値のあるスポットです。
ただし、訪れるのは、国道 219号線の復旧後をおすすめします。
場所 熊本県八代市坂本町鮎帰ほ
沿革
1881年(明治 14年) | 川原谷に出張授業所開設 |
1914年(大正3年) | 現在地へ校舎移転 |
1947年(昭和 22年) | 下松求麻村立鮎帰小学校貴分校となる |
1959年(昭和 34年) | 木造2階建校舎へ改築 |
2003年(平成15年) | 八竜小学校へ統合し閉校 |
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