須恵阿蘇釈迦堂 平安時代からの壮大な聖域

平安時代にこのあたりは須恵氏が支配していました。

須恵阿蘇釈迦堂のある地は、この須恵氏が菩薩寺として建立した平等寺のあったあたりになります。

須恵阿蘇釈迦堂

平等寺は球磨地方最古のお寺といわれています。

現在残っている建物は、釈迦堂だけとなっています。

須恵阿蘇釈迦堂のある谷を「阿蘇谷」と呼んでいます。

かつて平等寺は、この阿蘇谷に広大な聖域を築いていたといいます。

1868年(明治元年)に建てられた釈迦堂は、平等寺本堂の木材を使って建てられました。

ご本尊

ご主尊の「釈迦如来像」は平安時代の作品で、平安朝藤原期様式のものといわれます。

両脇侍は、「文殊菩薩坐像」と「普賢菩薩坐像」で、いずれも鎌倉時代の作品といわれています。

3像は熊本県指定の重要文化財です。

  • 釈迦如来像
  • 文殊菩薩坐像
  • 普賢菩薩坐像

須恵阿蘇釈迦堂には他にも仏像が収蔵されています。

5像はあさぎり町指定の重要文化財です。

多門天立像ご本尊をお守りする四天王のひとつ
平安時代末期の作品です。
地国天立像ご本尊をお守りする四天王のひとつ
平安時代末期の作品です。
薬師如来坐像 平等寺の参道脇にあった薬師堂の本尊でした。
1830年の作品です。
日光月光菩薩像薬師堂の脇侍でご本尊、十二神将像とワンセットでした。
1830年の作品です。
十二神将像薬師堂のご本尊を護持する武神でした。
1830年の作品です。

平等寺跡の庚申塔

須恵阿蘇釈迦堂の裏には古塔碑群が並んでいます。

その中に 庚申信仰の遺物、五輪塔型の庚申塔があります。

球磨郡内で、五輪塔形の庚申塔は珍しいといわれています。

1535年に建てられたもので、郡内では2番目の古さといいます。

庚申塔とは?

こちらの記事をごらんください。↓

須恵阿蘇神社鳥居

須恵阿蘇釈迦堂の前に鳥居が立っています。

鳥居の先に神社はありません。

どうしてこのような不思議な景色になったかというと、阿蘇神社は須恵諏訪神社に合祀されたためです。

かつての社殿を失い、シンボルの鳥居だけが残りました。

1923年(大正12年)までは、鳥居の先の山に阿蘇神社が鎮座していました。

記録によると阿蘇神社は、大同年間(806〜809年)の創建です。

肥後国の鎮守、阿蘇神社とご同体でした。

当初は、上村の「高土の原」(現在のあさぎり町神殿原(こうどんばる))に造られ、須恵村湯ノ原(現在のあさぎり町須恵)に遷座されました。

さらに、永享年中(1429〜1440年)に鳥居のある先に遷座されたといいます。

この地を阿蘇谷、流れる川を阿蘇川とよぶのは、阿蘇神社があったからでしょうか?

石鳥居は1797年に建立されたものです。

額束が横に長いのが特徴です。

須恵諏訪神社の鳥居も、同じ横書きになっていて、この地域独特のもののようです。

鳥居右側の石塔は石灯籠形の庚申塔です。

火袋が失われているため、ただの石碑に見えますが、銘文から1669年に建てた庚申塔でありことがわかっています。

かつてこのあたりには、阿蘇神社、護王神社、山王神社の3社がありました。

平等寺も本堂のほかに薬師堂、地蔵堂などがあり壮大だったといいます。

阿蘇谷は早くから拓けた土地で一帯は、一大聖域をなしていたと伝えられています。

須恵阿蘇釈迦堂は日本遺産人吉球磨の構成文化財20番となっています。

場所 熊本県球磨郡あさぎり町須恵3449-1