錫山鉱山 湧上坑

錫山鉱山 日本屈指の規模を誇った薩摩藩直営錫鉱山

錫山(すずやま)というのは、鹿児島県にあった錫(すず)の鉱山です。

錫山鉱山 湧上坑

文字通り、錫が採れたことから名付けられた地名です。

錫山鉱山とは?

錫山鉱山 錫鉱発見の地

錫山で錫が発見されたのは、1655年です。

錫山鉱山 錫鉱発見の地

1701年からは薩摩藩直営となり、幕末まで藩の財政を支えた重要な鉱山でした。

錫山鉱山 湧上坑入口

明治以降は西洋式採掘法が採用されていますが、採鉱量は増えなかったといいます。

錫山鉱山 湧上坑入口

大正時代に休山して以降、再開と休山を繰り返すことになります。

錫山鉱山 湧上坑

それでも、国内では有数の錫鉱山として操業が続けられました。

錫山鉱山 大山祇神社の石段

しかし、国外産の錫と価格競争にさらされ、1988年(昭和63年)に閉山しています。

錫山鉱山 大山祇神社の手水鉢と石灯籠

現地へ行くと、鉱山の名残りを見ることができます。

錫山鉱山 八木神社の手水鉢は石臼?

錫山簡易郵便局

錫山鉱山 錫山簡易郵便局 「よか’DO〒」

まず訪れたのは、錫山簡易郵便局です。

錫山の史跡案内

目的は「錫山の史跡案内地図」を見るためです。

錫山鉱山 錫山簡易郵便局 「よか’DO〒」

簡易郵便局と思っていた場所は、「よか’DO〒」というお店でした。

錫山鉱山 集配者が郵便物を集めに寄る、錫山簡易郵便局 「よか’DO〒」

でも郵便局の集配車も来たので、簡易郵便局で間違いありません。

錫山の史跡案内のある場所

案内図に沿って廻ってみました。

錫山鉱山 川辺線を走るバイクと立神山

錫山小中学校

錫山小中学校

錫山小中学校には、錫鉱石や採掘に使われていた道具が置いてあります。

錫山小中学校 正門

ただし、展示物を見るには学校の許可が必要です。

錫山小中学校 校舎

訪れた日は日曜日で学校はお休みでした。

錫山小中学校 校内

女郎墓

錫山鉱山 女郎墓の入口

江戸時代の大きな鉱山といえば、遊郭がセットされます。

錫山鉱山 女郎墓

女郎墓の墓石には、延宝元年(1673年)の文字が残ります。

錫山鉱山 女郎墓 観音像の彫られた墓石

錫鉱山を発見してすぐに遊郭ができたことがわかります。

錫山鉱山 女郎墓

昭和時代に道路工事をした際、銀のかんざしが見つかっています。

錫山鉱山 女郎墓

手形所跡

錫山鉱山 手形所跡

手形所というのは、関所なのか、通行手形の発行所なのか、金融決済システムなのか、調べてみましたがよくわかりません。

錫山鉱山 手形所跡

とにかく藩の出先機関のような場所で、役人が仕事をしていました。

錫山鉱山 手形所跡(現在は公民館)

現在は、地域の公民館が建てられています。

錫山西谷住宅

相撲場

錫山自然歩道の案内標柱と看板

相撲場は現在も残されています。

錫山鉱山 相撲場

大山祇神社の大祭で、奉納相撲が開催されていた場所です。

錫山鉱山 相撲場

奉納相撲は、現在も開催されています。

錫山鉱山 大山祇神社

大山祇神社

錫山鉱山 大山祇神社 一の鳥居

大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)は、1677年に伊予国(現在の愛媛県)から勧請しています。

錫山鉱山 大山祇神社 社殿

ご祭神の大山祇命(おおやまつみのみこと)は山の神さま、つまり鉱山の神さまです。

錫山鉱山 大山祇神社 社殿

山師のほか、鉱山関係者から厚く信仰されました。

錫山鉱山 大山祇神社 石灯籠と拝殿

八木神社

錫山鉱山 大山祇神社の境内社・八木神社

摂社の八木神社は、錫山鉱山の発見者・八木主水佑元信(やぎもんどのすけもとのぶ)をまつります。

錫山鉱山 大山祇神社の境内社・八木神社

八木主水佑元信は、島津家の家臣です。

錫山鉱山 八木神社の説明板

錫鉱発見の地

錫山鉱山 錫鉱発見の地

錫山は錫が発見される以前は、鹿追原(かおうばる)という地名でした。

錫山鉱山 錫鉱発見の地の説明板

八木主水佑元信は、義久公が加世田を訪れる際には、たびたびお供していました。

錫山鉱山 錫鉱発見の地の石祠

道中の鹿追原を往来中に、錫鉱を発見しています。

錫山鉱山 錫鉱発見の地の坑口跡

まさにその場所が鉱山発見の地で、奥にあるのが錫山最古の坑口です。

錫山鉱山 錫鉱発見の地の石柱

湧上坑

錫山鉱山 湧上坑入口のロータリー

錫鉱発見の地からさらに山奥へ進むと、突き当りがロータリーになっています。

錫山鉱山 湧上坑入口のロータリー

アスファルト道路に自然石を使ったロータリーははじめて見ました。

錫山鉱山 湧上坑入口の標柱

湧上坑(わきあがりこう)に到着です。

錫山鉱山 湧上坑の説明板

江戸時代に山師が石につまずいたことで発見したといわれる、1800年代の主要坑口です。

錫山鉱山 湧上坑

ここから、山道を進むと多くの坑口や露天掘坑がありますが、ほぼ登山となります。

錫山鉱山 湧上坑から先の山道

それに、観光用としては未整備なので、ここで引き返します。

錫山鉱山 湧上坑

御仮屋跡

錫山自然歩道の案内標柱

一旦相撲場まで引き返してから、錫山自然歩道沿いに稚児ヶ滝方向を目指しました。

錫山鉱山 御仮屋跡

狭い道で山を下り、広い道へ抜けところに御仮屋跡がありました。

錫山鉱山 御仮屋跡

御仮屋というのは、一国一城制以後における郷のなかのお城のようなものです。

錫山鉱山 御仮屋跡の石柱

現在はただの原野になっていますが、石柱が残されています。

錫山鉱山 御仮屋跡の原野

この先には選鉱所や製錬所跡があるようですが、やはり山中で登山の必要があります。

まとめ

錫山鉱山 女郎墓の案内漂柱

錫山は、江戸時代のピークには500名とも600名ともいわれるほど多くの人が携わっていた鉱山です。

錫山鉱山 女郎墓への階段

しかし、近代化された明治時代以降は、従来ほど多くの人がかかわったわけではないようです。

錫山鉱山 女郎墓への道

その分、どかんと大規模な遺構がみられるわけではありません。

錫山鉱山 坑口へ行く道

しかし、山中の簡単に行けない場所に、まだ興味深い史跡が残されています。

錫山鉱山 坑口へ行く道

鉱山マニアにとっては、ポテンシャルを秘めた鉱山と感じました。

場所

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