内山小中学校 以前の須木の隣町野尻の学校へ編入
内山小中学校は、宮崎県小林市須木大字内山にあった、公立学校です。宮崎県には多いのですが、古くから小中一貫校だったようです。2010年(平成22年)内山小中学校は休校となり、生徒たちは旧野尻町の学校へ編入しました。2013年(平成25年)廃校となっています。
内山小中学校は、宮崎県小林市須木大字内山にあった、公立学校です。宮崎県には多いのですが、古くから小中一貫校だったようです。2010年(平成22年)内山小中学校は休校となり、生徒たちは旧野尻町の学校へ編入しました。2013年(平成25年)廃校となっています。
五木西小学校は、かつて熊本県球磨郡五木村丙小鶴にあった村立小学校です。1947年から1995年の間は、五木第一中学校西分校が併設されていました。小鶴地区は、五木村の北西部にあたります。白滝公園のある集落が小鶴になります。
田野小学校は、かつて人吉市田野町にあった公立小学校です。田野町は、人吉市南西部に広がる田野高原にあり、リゾート地のような雰囲気があります。少し鹿児島県よりに進むと、久七(きゅうしち)峠となります。あたりは久七トンネルの開通で、車通りが少なくなりました。
大塚小学校は、かつて熊本県人吉市東大塚町にあった公立小学校です。一時期、人吉市立第四中学校が同居していました。東大塚町は、人吉市を起点とし、鹿児島県の薩摩川内市へ至る、国道267号線沿いにある町です。学校跡には木造校舎が現存し、大塚コミュニティセンターとして利用されています。
百済来(くだらき)中学校は、かつて熊本県八代市坂本町田上にあった公立中学校です。閉校したのは、坂本村時代に村内の中学校を1校に統合したためでした。跡地は百済木スポーツセンターとして、八代市が管理し、とてもキレイにきれいに整備されています。
古屋敷小学校は、かつて熊本県球磨郡水上村江代にあった村立小学校です。閉校時木造2階建ての校舎がありましたが、すでに解体されています。校庭はヘリポートに変わりました。しかし、体育館とプールと多くの遺構が残されていました。
曽木発電所遺構は、鹿児島県伊佐市にある発電所跡です。遺構としては結構有名です。チッソ(現在:JNC)は、九州に13ヶ所の水力発電所を持っています。その最初のきっかけが、曽木発電所でした。遺構はダムの水位により、現れたり水没したりします。
酒谷(さかたに)中学校は、宮崎県日南市酒谷にあった公立中学校です。2016年(平成28)に、閉校したばかりの学校です。多くの卒業生を送り出した、歴史ある学校が閉じられるのは悲しいものです。校舎は閉校日のまま時が止まったようでした。
尾八重(おはえ)小学校は、かつて宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良にあった、村立小学校です。もともとは、もっと耳川沿いにありましたが、上椎葉ダムが建設されたことで、水没地となり代替地へ移転しています。校舎はすでに解体されていました。遺構らしい遺構はないようです。
五木北小学校平沢津分校と、五木第二中学校平沢津分校は、かつて熊本県球磨郡五木村にあった村立学校です。平沢津集落は、五木村の中心地頭からみると、北の方向になります。平沢津の三差路に、圧倒的な存在感を醸し出す建物があります。平沢津分校の体育館です。
尾股(おまた)小中学校は、かつて宮崎県児湯郡西米良村にあった村立学校です。国道沿いながら、山深い場所にあります。廃校跡としては名高く、以外にも遠くからの訪問者もいるみたいです。いつまでも校舎が、残されることを願います。
三浦小学校は、かつて熊本県球磨郡五木村にあった村立小学校です。校内は、景勝地「天狗岩」の眺望ポイントになります。学校施設として残されているのは、体育館とプールです。校舎はおそらく解体され、代わりに集会所が新築されています。