田野小学校は、かつて人吉市田野町にあった公立小学校です。

久七峠
田野町は、人吉市南西部に広がる田野高原に広がる町です。
少し鹿児島県よりに進むと、久七(きゅうしち)峠となります。

久七峠は、かつて人吉藩と薩摩藩の国境でした。
現在の県境は、久七峠より人吉側に600mほど、下ったところになっています。

薩摩大口の「久七」という爺さんが、少しづつ県境を人吉側に動かしたという説があり、峠の名前の由来となっています。

人吉藩と薩摩藩との力関係で、境界が決まったという説もあります。
実際のところは、何が真実なのか定かではないようです。
久七トンネル
その久七峠ですが、2004年(平成16年)にトンネルが開通しました。
人吉~大口間は15分の走行時間短縮が図られました。

トンネルの効果はそれに止まらず、積雪や倒木や崩土による通行止めがなくなります。
そして、なんといっても走りやすくなり、通行量も増加しているようです。

ただし、デメリットもあります。
田野町はトンネルより高いところにあり、車が通らなくなってしまいました。

田野高原といっても、主産業は農林業なのですが、観光業や商業もあります。
風景は高原のリゾート地を想起させます。


田野小学校跡は、標高680mだそうです。

となりには、田野テニスコートがあります。

オムニコートが4面も用意されています。

ギャラリー

リゾートホテルに向かっているような感じです。

観光客誘致をしようとはしているようです。

校門から見ると、小さな学校に見えます。

プールもこじんまりしています。

しかし、校庭はやけに広いです。

校門から見た印象と違い、それなりの規模の学校でした。

大塚小学校の分校だったのに、大塚小学校より大規模です。

敷地は校庭より先にもありました。

遊具のあるところも、学校の敷地だと思います。

校庭にある、かまどと水道です。

玄関前にあった、ピザ釜?リゾート感のある小学校でした。
教育環境としては、すばらしいと思います。
沿革
1890年(明治23年) | 西瀬尋常小学校田野分教場として創立 |
1915年(大正14年) | 西瀬尋常高等小学校田野分教場へ改称 |
1941年(昭和16年) | 球磨郡西瀬国民学校田野分教場へ改称 |
1942年(昭和17年) | 人吉市立西瀬国民学校田野分教場へ改称 |
1947年(昭和22年) | 人吉市立大塚小学校田野分校へ改称 |
2002年(平成14年) | 人吉市立田野小学校として独立 |
2011年(平成23年) | 人吉市立大塚小学校を統合 |
2014年(平成26年) | 人吉市立東間小学校へ統合し閉校 |
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