西部小学校 坂本村でも下松求麻村でも、最も西部にあった小学校
西部(さいぶ)小学校は、かつて熊本県八代市坂本町にあった村立小学校です。文字通り、旧坂本村の西部にありました。2003年(平成15年)に、坂本村立の7小学校が、八竜小学校へ統合され、廃校となりました。現在は、八代市西部社会教育センターとして使用されています。
西部(さいぶ)小学校は、かつて熊本県八代市坂本町にあった村立小学校です。文字通り、旧坂本村の西部にありました。2003年(平成15年)に、坂本村立の7小学校が、八竜小学校へ統合され、廃校となりました。現在は、八代市西部社会教育センターとして使用されています。
百済来(くだらぎ)村とは、現在の八代市坂本町にあった村です。新八代市合併以前の坂本村は八代郡にありました。しかし、坂本村発足以前の百済来村は葦北郡の村でした。明治時代建てられた、木造の旧庁舎が現存しています。
深水発電所は、かつて熊本県八代市坂本町にあった、製紙工場へ電力を供給していた発電所です。竣工は1921年(大正10年)で、工場が操業停止となる1988年(昭和63年)まで使い続けられました。対岸の国道219号線から、遺構の姿をみることができます。
十条製紙坂本工場跡は、かつて八代市坂本町にあった、九州で初めての近代的製紙工場でした。工場跡は、「くまがわワイワイパーク」という公園として整備されています。肥薩線の開通する10年も前から操業していたようです。現在も遺構が少し残っています。
廃墟、廃校、廃鉱山、廃工場、廃線、廃道など、遺構の記事のまとめです。かつては人々の生活になくてはならなかった物でも、時代とともに不要なものとなります。そうした遺構の、探訪日現在の姿を記事にしたものです。
高沢小学校大槻分校は、1960年(昭和35年)に廃校となっています。廃校後60年も経過しているのに、現在も木造校舎が残るのは、キャンプ場として再利用されていたためです。山奥で誰にもじゃまされずキャンプを楽しみたい方にとっては、理想的だったと思います。現在、大槻キャンプ場は閉鎖となってしまいました。。
藤本小学校は、かつて坂本村(現在の熊本県八代市坂本町)にあった村立小学校です。統合した八竜小学校や坂本中学校は、球磨川をはさんで、対岸にあたります。統廃合時には、校舎も老朽化していて、建て替える必要があったのだと考えられます。
須恵中学校は、熊本県球磨郡あさぎり町須恵にあった、町立中学校です。2012年(平成24年)に、新設されたあさぎり中学校へ統合されました。運動場は、新興住宅地となっています。新築住宅が建ち並ぶ光景に、廃校跡地の悲壮感は全くありません。