覚井観音堂 エンブリー博士が研究した須恵村の観音さま
覚井(かくい)観音は、相良三十三観音霊場の22番札所です。近くの上手観音も22番札所となので、スルーしないようにご注意ください。1955年(昭和10年)から、エンブリー博士という人類学者が、日本の農村研究のため住んでいた住居のすぐそばになります。
覚井(かくい)観音は、相良三十三観音霊場の22番札所です。近くの上手観音も22番札所となので、スルーしないようにご注意ください。1955年(昭和10年)から、エンブリー博士という人類学者が、日本の農村研究のため住んでいた住居のすぐそばになります。
上手観音は相良三十三観音霊場の22番札所です。岩立観音ともよばれています。子供や妊婦を守る観音さまとして信仰されています。近くに「おいちの墓」があります。こちらも妊婦と子どもの守り神として崇拝されていますのでセットでのお参りをおススメします。
永峰観音は、相良三十三観音霊場の21番札所です。 ご本尊は如意輪観音立像で、相良三十三観音唯一の如意輪観音となります。願いを叶え、悩み多き民衆を救う観音さまです。また、安産にもご利益があるといわれています。
土屋観音堂は相良三十三観音霊場の31番札所となります。一乗寺は江戸時代が終わるまで続きましたが、明治維新後廃寺となりました。寺院には観音堂と古塔碑が残りました。これが現在の土屋観音堂です。鎌倉時代の聖観音菩薩坐像と平安時代の地蔵菩薩立像が安置されています。
中山観音堂は昔、この地にあった中山寺の本堂でした。ご本尊の聖観音菩薩立像は、慈悲の心であらゆる人々の苦しみを救うといわれています。また、安産を守る仏様です。旗や鐘の尾(鰐口を鳴らす木綿の布)などを奉納し、それを頂いて腹にまくとご利益があるということです。
鵜口観音は、相良三十三観音霊場の5番札所となります。鵜口あたりは、球磨川を水路として利用していた時代の交通の要衝でした。鵜口観音堂は、球磨川を見渡す場所にあります。球磨川を行き交う物流船や渡し船の、交通安全と水難防止を願ったものといわれています。
秋時観音 (あきときかんのん) 堂は相良三十三観音霊場の30番札所になります。秋時観音は「ボケ封じ」にご利益があることで有名です。また、観音様がご開帳される秋の彼岸には、健康祈願に多くに人が訪れます。妊婦や家畜を守ってくださることでも有名です。
宮原(みやはら)というのは宮原観音堂があるあたりの地名です。一時期は岡原観音堂とよんでいましたが現在は旧来からの呼称、宮原観音堂とよんでいます。相良三十三観音霊場の29番札所となっています。相良三十三観音廻りは日本遺産人吉球磨の構成文化財38番となっています。
内山観音は、相良三十三観音霊場の19番札所となります。ご本尊は千手観音菩薩像でしたが、2度にわたる火災に遭い、現在は聖観音立像になっています。内山観音には千手観音の申し子の伝説が伝わっています。
宝陀寺の観音さんは、像高180cmの巨像として知られています。地元ではこの巨像を京都から運んできたという、いい伝えが残っています。「腰の観音さん」「お産の観音さん」といわれご利益があるそうです。相良三十三観音霊場の27番札所となります。
三日原観音堂 沿いの曲り道は、アニメ「夏目友人帳」の中では、ニャンコ先生の大好物のまんじゅうを売っている七辻屋周辺の景色といわれています。相良三十三観音霊場の4番札所であり、日本遺産人吉球磨の「相良三十三観音廻り」のひとつとなります。
猫寺というのは、熊本県球磨郡水上村にある生善院の通称です。人吉藩が悩まされた化け猫騒動の発端となり、また騒動を鎮めたお寺です。以後「お嶽さん参り」という人吉球磨で永年続いた風習を生んでいます。現在では愛猫の健康祈願や病気治癒祈願に訪れる方もいます。