平景清息女の墓というのは、熊本県球磨郡あさぎり町にあり、目の神さまとして知られています。
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都落ちした父を追って、都からはるばる九州まで旅してきた娘の、悲しい伝説が残っています。
平景清
平景清は、平安時代末期の平家に仕えた武将でした。
壇ノ浦の戦いで平家が敗れると、日向国(現在の宮崎県)に逃れました。
宮崎市には、目の神さまとして平景清を祀る、「生目神社」があります。
お墓は、鹿児島県曽於郡大隅町にあります。
各地に伝説が残る人物ですが、目にまつわる伝説が多いといいます。
景清の娘
平景清の娘は、「人丸姫」や「糸滝」といわれています。
お墓の公式名称は、「平景清息女の墓」とされています。
目の神様として知られ、目の病にご利益があるとされています。
平家息女の墓のある地域では、この娘の伝説が語り継がれています。
平景清の息女の伝説
平景清の娘は、都落ちした父を追ってはるばる球磨の地までやってきました。
切畑村(現在のあさぎり町岡原北)に着いたとき、突然黒い怪物に襲われました。
娘はびっくりして、とっさにゴマの穂で、その怪物の目を突きました。
よく見ると、怪物の正体は黒猫だったといいます。
その夜、娘は付近の民家に泊まらせてもらいました。
すると、急に目が痛みだし、旅立つこともできず、数日間その民家で療養していました。
たまたま、通りかかった旅の人から、景清が亡くなったことを聞きました。
父に会うために苦しい長旅を続けてきた娘は、目的をなくしまいます。
そして、父の使っていた平家の旗を形見の短刀で切り裂き、 自害して果てたといいます。
この地区は「切旗」といっていましたが、これ以来「切畑」と書くようになったそうです。
そして、この村では景清の娘のことを想い、畑にはゴマの穂を持ち込まず、黒猫も飼わなくなったそうです。
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