高木小学校は、かつて鹿児島県霧島市横川町にあった公立小学校です。
金の採鉱で栄えた、高木地区の学校でした。
金山閉山により廃校
高木地区は、江戸時代に栄えた山ヶ野金山の集落の一角です。
明治時代には近代化した晒坑(さらしこう)があり、金山の事務所が置かれていました。
さらに、長野金山の胡麻目坑や永野製錬所にも近く、金山では多くの人が働いていました。
金の採鉱は大戦まで続きますが、不要不急産業のため休鉱しています。
採鉱は戦後再開されていますが、新たな鉱脈がみつからず閉山しています。
金山を失った高木地区は、急速に過疎化がすすむことになりました。
高木小学校は、1963年(昭和38年)に横川町立安良小学校と統合し廃校となっています。
横川町が霧島市となったのは、閉校から40年以上経ってからのことです。
高木地区公民館
高木小学校の校舎は、高木地区公民館に転用されることで生き残りました。
閉校後60年近い時を経過した現在も、校舎の一部が残っています。
昔の校舎は、トイレは別棟にしてありました。
そして、トイレに周囲には殺菌作用のあるナンテンが植えられていました。
山間にありますが、山を切り開いて広い運動場を確保しています。
校内
残される石造の校門です。
門柱は、片方だけ残っていますが、子供の背丈は裕に超す、りっぱなものです。
そして、大きく育った校庭のセンダンです。
校舎の近くにもセンダンがありますが、枝分かれした幹が折れ小ぶりに育っています。
校庭の洗い場は、家庭用のステンレスシンクを再利用しています。
改造はされていますが、どうみても木造校舎の一部です。
すべてをアルミサッシに変えず、木枠窓を残したのも価値があります。
アルミサッシの部分は、公民館らしく増築した感じがします。
1963年(昭和38年)製の閉校記念碑です。
卒業生は901人と記録されています。
国旗掲揚台は1951年(昭和26年)に、高木小学校として独立した記念に建てられたものです。
沿革
1872年(明治5年) | 佐野築右衛門開塾 |
1885年(明治18年) | 山ケ野金山小学校高木分教場となる |
1888年(明治21年) | 高木簡易小学校となる |
1891年(明治24年) | 高木尋常小学校へ改称 |
1930年(昭和5年) | 山ケ野小学校高木分教場となる |
1941年(昭和16年) | 山ケ野国民学校高木分教場へ改称 |
1947年(昭和22年) | 横川町立山ケ野小学校高木分校へ改称 |
1951年(昭和26年) | 横川町立高木小学校として独立 |
1963年(昭和38年) | 横川町立安良小学校へ統合 閉校 |
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