豊福阿蘇神社は、熊本県宇城市松橋町にある神社です。

阿蘇神社の流れを汲んでいますが、もともとは八幡神がご祭神となります。
由緒

1047年、当時関白であった藤原道隆が、八幡神をまつったのが始まりとされています。

鎌倉時代に阿蘇氏の勢力下に入ると、阿蘇神社と甲佐神社が合祀され三宮社となります。

以後、永年のうちに主祭神であった八幡神の影が薄れ、阿蘇神社色が強くなっていきました。

薩摩街道

豊福阿蘇神社は、薩摩街道沿いにあり江戸時代以降、往来が多くにぎやかな場所に位置しています。

薩摩街道というのは、薩摩から本州へ向かうための交通路です。

九州でも強大な勢力を持つ薩摩藩の参勤交代路として、重要な意味がありました。

もちろん、肥後藩内でも主要道路となっていました。

現在の国道3号線に沿う形で、筑前国(現在の福岡県)から、薩摩国の出水筋につながっています。

鳥居

扁額の阿蘇三宮というのは、かつて三社大明神とか三宮大明神とよばれていた名残です。

西参道の鳥居にも、同じく阿蘇三宮と書かれています。

参道

住宅地にあり、社地自体はそれほど広くありません。

すぐ隣が、宇城市民病院となっています。
境内社
参道わきにある境内社は、神殿を守る神さまです。

弥五郎さんといって、梅染の赤土色の単衣袴を着け、腰巻きに大小の刀を帯びた姿をしています。

狛犬
狛犬は、1933年(昭和8年)に奉納されたものです。

スタイルがよく、牙が長いのが特徴です。

三猿
三猿(さんえん)は、日光東照宮の彫刻で有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」の3匹の猿です。

豊福阿蘇神社では、石像となっています。

手水舎

現役の手水鉢はキレイに切り出してありますが、隣に旧来からの手水鉢が置かれています。

拝殿

豊福阿蘇神社は、中世から四町三反の社領を持つ、8村の総社でした。

社領は豊臣秀吉により没収されましたが、現在もその風格を保ちます。

本殿

木鼻や妻には見事な彫刻が施されています。

拝殿同様、本殿も風格を保っています。

ご祭神

- 阿蘇十二神
- 八幡大神

ご神木

豊福阿蘇神社のご神木は、クスノキの大木です。

推定樹齢 1100年というのが、創建以来遷座されていないことを物語ります。

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