土屋観音堂は相良三十三観音霊場の31番札所となります。
一乗寺(一城寺)
1448年、上相良家の相良頼観(よりみ)・頼仙(よりのり)兄弟が人吉城を占拠しました。
人吉城乗っ取り事件といいます。
そのとき、下相良第10代尭頼(たかより)は、永国寺の 大蟲超虎(だいちゅうちょうこ) 和尚といっしょに、薩摩の菱刈(現在の伊佐市菱刈町)に逃げました。
この報をきいた下相良氏の分家、山田城城主であった相良長続(ながつぐ)が人吉城を取り戻しています。
長続は、尭頼に城主として人吉城に戻るよう伝えます。
ところが、尭頼はこれを拒否し、長続が説得を続ける間に急死してしまいました。
人吉藩領内に戻った 大蟲超虎和尚 は、一武の土屋小槙山の麓に、一乗寺を建て尭頼を弔いました。
この事件を機として、下相良家第11代領主となった長続は、上相良氏を滅ぼすことになります。
土屋観音堂
一乗寺は江戸時代が終わるまで続きましたが、明治維新後廃寺となりました。
寺院には観音堂と古塔碑が残りました。
これが現在の土屋観音堂です。
1996年(平成8年)、建造物は錦町の有形文化財に指定されています。
ご本尊
土屋観音堂の堂内には、鎌倉時代の聖観音菩薩坐像と平安時代の地蔵菩薩立像が安置されています。
ご主尊の 聖観音菩薩坐像は盗難に遭い、残念なことに行方不明となっています。
現在はその複製が奉納され、大切に祀られているそうです。
おそらく昔は、どこのお堂でも鍵などかけられることはなく、自由に拝観できていたのだと思います。
こういった不心得者のために、お堂には鍵がかけられ、いつでも見ることができなくなってしまったのではないでしょうか。
一乗寺古塔碑
境内には室町時代からの五輪塔や、1711年の庚申塔、1732年の「大乗妙典一字一石塔」なども見られます。
観音堂の後ろの丘陵は中世の山城、土屋城址になります。
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