横瀬古墳

横瀬古墳 ヤマト王権と通ずる県内最大級の前方後円墳のミステリー

横瀬古墳というのは、鹿児島県大崎町にある古墳です。

横瀬古墳 後円部

5世紀ごろに築かれた古墳ですが、近世になり怪現象が発生した伝説のスポットです。

県内最大級の古墳

日本最南端の古墳群 横瀬古墳

横瀬古墳は、鹿児島県内でも最大級の前方後円墳です。

日本最南端の古墳めぐり

その規模は、唐仁大塚古墳 (東串良町)に次いで2番目となります。

横瀬古墳 説明板

出土品などから、5世紀古墳時代の中期に築かれたと考えられています。

横瀬古墳

ヤマト王権と南西諸島や朝鮮半島との交流を物語る、海浜型前方後円墳という説があります。

横瀬古墳

なかには、邪馬台国の卑弥呼の墓と考える学者もいます。

横瀬古墳 後円部

スペック

横瀬古墳
全長128m
後円部65m
高さ15m
くびれ部幅45m
前方部最大幅65m
高さ13m
横瀬古墳 くびれ部

大量の埴輪片が墳丘や周濠跡からみつかっています。

横瀬古墳 くびれ部

かつては、周辺にもいくつかの小円墳があったのですが、現在は農地になっています。

横瀬古墳 前方部

怪現象

横瀬古墳 石祠(賀茂神社)

横瀬古墳の存在は古くから知られていて、前方部には祠がまつられています。

横瀬古墳 石碑

石碑によると、石祠は賀茂神社とされています。

横瀬古墳 前方部の塚

一方、周辺では明治時代以前から怪現象がみられることで知られます。

横瀬古墳 前方部から見た後円部
  • 鎧武者の大軍をみた
  • 古墳の上に串刺し遺体があった
  • 生首が飛び交っていた
横瀬古墳 前方部の森

怪現象はいずれも古墳時代ではなく、戦国時代の争乱期を連想させるとささやかれます。

横瀬古墳 前方部の森

江戸時代の伝説

横瀬古墳周囲の農地

現在、古墳周辺には田畑が広がっています。

横瀬古墳周囲の農地

江戸時代には農地として拓かれていましたが、農作物に疫病が広がり酷い飢饉が続いたと伝わります。

金計佐で有名な新平酒造
金計佐で有名な新平酒造

食糧不足から住民が餓死し、食糧の奪い合いが起き多くの集落が消えました。

横瀬古墳 後円部上から見た前方部

それどころか、人肉で飢えを凌ぐ人々さえもいまいした。

横瀬古墳上の木

藩主の島津氏が聞きつけ、仏の道に背くとして、生き残った村人を斬首したといいます。

横瀬古墳上の木

そのため、古墳周辺の飢饉を伝承する人はごく僅かだったと伝わります。

横瀬古墳 前方部の森の中

場所 鹿児島県曾於郡大崎町横瀬

横瀬古墳 周濠跡

関連記事

【関連記事】道の駅くにの松原おおさき カブトムシと松原王子と天竺鼠

【関連記事】轟の滝(大崎町) 近づくのは物理的にも心霊的にもとても危険な滝

【関連記事】九州南部のミステリースポット まとめ