吉牟田分校というのは、かつて宮崎県えびの市にあった、大河平(おおこうびら)小学校の分校です。
閉校後は公民館やキャンプ場となり、すでに半世紀を迎えようとしています。
吉牟田地区
吉牟田分校は、へき地等級でいえば4級です。
宮崎県では、尾股小中学校などの5級に次ぐ、高いレベルのへき地です。
吉牟田分校の特徴は、一般的な山奥の営林集落とは違い、今なお集落が存在している点です。
尾根を隔てた川内川が東シナ海へ流れるのに対し、吉牟田川は大淀川水系で太平洋へ流れます。
九州でも東と西を分ける分水嶺であり、本校だった大河平小学校からも遠いです。
道中は山道でクネクネ曲がりますが、起伏はゆるやかで全線舗装されています。
離合できるくらいには広く、よく手入れされた人工林の中を通るので、走りやすいです。
実はこの民有林も、吉牟田集落が発展したひとつの要因です。
道路や農地の管理度合いから見て、現在も住民がいらっしゃるのは間違いありません。
吉牟田キャンプ場
吉牟田分校が閉校となったのは、1979年 (昭和54年)なので、もうずいぶん前のことです。
閉校後は、吉牟田キャンプ場として使われています。
管理棟は無人で、料金 300 円/1人は料金箱に投入します。
しかし、冬季休業なのか、廃業なのかわかりませんが、料金箱はカギがついたまま全開です。
自動販売機にもカギがつけられたまま、稼働していないことから、現在もキャンプ場として利用できるのかどうか不明です。
お風呂があり、自分でマキでわかす旨書いてありますが、取り外されたのか、建物の中にお風呂は見当たりませんでした。
キャンプ場の説明板はそのままなので、野営的なキャンプならば可能でしょう。
校舎は解体済み
実は、2013年(平成25年)までは校舎が残っており、地域の公民館として利用されていました。
残念ながら、シロアリ被害で危険だったため解体されています。
吉牟田分校の目印というか、シンボルはため池です。
現在もため池は健在でした。
実は、この池はキャンプ場のつり堀の役割をはたし、一匹当たり500円を料金箱に入れるシステムです。
コイが放流されているとききますが、一面氷で閉ざされ、魚がいるかどうか確認するのはムリでした。
学校の片りん
木製の柱がありますが、見ただけでは分校の門柱だったのかどうか判断できません。
支柱が木製のバスケットボールゴールは、分校時代からあるものでしょうか?
遊具は朽ち具合から見て、間違いなく分校時代のものです。
赤色の塗装が消えつつある古タイヤ・・・
苔むした国校旗掲揚台も学校跡ならではの遺構です。
うんていと回旋塔は倒れています。
ブランコは今でも自立しています。
ただ、周囲の雪に残る足跡は動物のもばかりでした。
キャンプ場の管理棟には、吉牟田分校の歴代教員のお名前がありました。
沿革
1924年(大正13年) | 開校 |
1947年 (昭和22年) | 飯野町立大河平小学校吉牟田分校へ改称 |
1966年 (昭和41年) | えびの町立大河平小学校吉牟田分校へ改称 |
1970年 (昭和45年) | えびの市立大河平小学校吉牟田分校へ改称 |
1979年 (昭和54年) | えびの市立大河平小学校へ統合し閉校 |
場所 宮崎県えびの市大河平
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