にしきひみつ基地ミュージアムは、熊本県球磨郡錦町にあります。
かつて、旧日本海軍の航空基地があったあたり一帯を指します。
メイン施設の人吉海軍航空基地資料館は、滑走路跡地に建てられています。
人吉海軍航空基地
人吉海軍航空基地は、大戦中に旧日本海軍航空隊の中継基地として建設されています。
完成後は、予科練の教育施設として、エンジニアやパイロットを養成するための教育基地として使われました。
ところが、戦況が悪化すると本土防衛基地としての役割をまかされています。
九州の海軍航空基地といえば、鹿屋基地が有名です。
人吉基地は、海軍基地としては珍しく、山の中に建設されています。
これは艦砲射撃の射程外であるためです。
距離感も、鹿屋基地の中継基地として最適な条件にありました。
人吉海軍航空基地資料館
ひみつ基地ミュージアムのメイン施設となります。
写真と文字などの展示が中心で、物的な展示は少なめです。
本気で見ると1時間はかかります。
サラっと見ると15分です。
早々に休憩所へ、いったん外へ出て別の入り口から入るようになっています。
缶バッジとポロシャツをゲットしました。
グッズ販売はこれからに期待、海軍カレーのレトルト食品なんかそのうち置かれるでしょう。
地下魚雷調整場
それでは、主目的であった魚雷調整所へ案内してもらいました。
ガイドさんは、流ちょうな標準語で話されます。
しかし、地元の方だそうです。
基地周辺に、こんな地下施設が50か所もあるとか。
この場所は、航空機が搭載する魚雷を調整していた施設だそうです。
地下施設の壁のたて筋は、掘った時のツルハシの跡。
手掘りなのだそうです。
実物大の九一式魚雷が置いてありました。
残念ながら光量不足で、真っ暗な写真になっていましました。
でかい!本物は重さ800㎏って、飛行機に積めるのか?
魚雷を扱っていたところだけは、壁がコンクリート製です。
しかも鉄筋ではなくて、当時のままの木筋コンクリートです。
ガイドさんの話がわかりやすくて、とても楽しめました。
またリピートします。
場所
公式サイト
開館時間
開館時間 | 10:00 〜 16:00(最終入館) |
休館日 | 火曜(祝日の場合翌日) |
料金 地下魚雷調整場ガイド付き入館料
大人(高校生以上) | 500円 |
小・中学生 | 300円 |
未就学児 | 無料 |
※入場料に地下魚雷調整場のガイド料及び、保険料を含みます。
※1団体15名以上で団体割引あります。
地下魚雷調整場ガイドスケジュール
資料館より徒歩で移動します。所用時間は約40分程です。
1回目 | 10:30 〜 11:10 |
2回目 | 11:30 〜 12:10 |
3回目 | 12:30 〜 13:10 |
4回目 | 13:30 〜 14:10 |
5回目 | 14:30 〜 15:10 |
6回目 | 15:30 〜 16:10 |
※天候などにより、案内時間が変更になる場合もございます。予めご了承ください。
[地下作戦室・無線室][地下兵舎壕]ガイドプラン
要予約 オプションガイド
地下魚雷調整場の周囲に残る「地下兵舎壕」と「地下作戦室・無線室」の2箇所をガイド付きで案内するオプションプランです。どちらの壕も地下魚雷調整場とは異なる造りの、特徴ある壕になります。
大人(中学生以上) | 500円 |
小学生 | 400円 |
未就学児(3才以上) | 200円 |
※料金に含まれるもの:ガイド料・ヘルメット貸出・懐中電灯貸出・保険料
前日までに電話予約が必要です。
TEL 0966-28-8080
遺構群
滑走路
残されている道路は、滑走路の誘導路だそうです。
道路の左側が、この先幅50m、長さ1,500mにわたって滑走路でした。
戦後の食糧不足で、農地に変わっています。
衛門
飛行場区の入り口です。
軍人勅論の碑
衛門前には、人吉海軍航空隊にまつわる記念碑が建てられています。
人吉海軍航空隊の碑
居住区の隊門
こちらは居住区の隊門です。
人吉海軍航空隊跡の碑
居住区の入り口には多くの記念碑が残されていました。
予科練雄飛会の碑
予科練一期生の碑
予科練5期生の碑
松根油工場
居住区の入り口横の階段は、松根油工場へ続いています。
石油が手に入らないので、マツの木から航空機の燃料をつくっていました。
こんな感じで、燃料の製造作業をしていました。
地下発電所
松根油工場の近くにあった、地下発電所跡です。
中には入りませんでした。
本当にひみつ基地だった
ひみつ基地ミュージアムがオープンしたのは、2018年(平成30年)のことです。
滑走路や居住区など、地上の遺構については、既に知られていました。
ところが、地下遺構については軍事機密であったため、ながい間、住民はただの防空壕と思っていました。
終戦から70年、アメリカに引き渡していた旧日本軍の軍事資料から、人吉基地の地下施設が何の目的で使われていたのかがわかってきました。
本土決戦に備えて、作戦室や無線室、兵舎、弾薬庫、工場など多くが地下につくられていたのです。
地域の研究家と調査を進めると、多くの地下施設が現存していることがわかりました。
そこで、町ではこれら海軍基地遺構の整備を進め、ミュージアムをオープンしています。
まとめ
この場所に、海軍基地があったことは、前々から知っていました。
しかし、昔飛行場だったところくらいの認識でした。
訪れてみて、思ったよりも重要施設だったことがわかりました。
軍事機密であるがゆえ、今まで多くの人が知り得なかった情報が、最近わかりはじめたところです。
山の中の海軍の町にしきひみつ基地ミュージアムは、名実ともに「ひみつ基地」でした。
沿革
1943年(昭和18年) | 日本海軍航空隊の中継基地として建設開始 |
1944年(昭和19年) | 予科練生の教育施設となる |
1945年(昭和20年) | 教育を停止し、特攻訓練基地となる |
1945年(昭和20年) | アメリカ軍の23機の艦載機が基地を空襲 |
1945年(昭和20年) | アメリカ軍の16機の艦載機が基地を空襲 |
1945年(昭和20年) | 本土決戦のための兵站基地となる |
1945年(昭和20年) | 終戦により解隊 |
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