種雄牛ここに眠る 宮崎県家畜改良事業団

種雄牛の慰霊碑 口蹄疫の教訓を後世に伝える宮崎牛のお墓

種雄牛(しゅゆうぎゅう)の慰霊碑というのは、宮崎県家畜改良事業団高鍋種雄牛センターのとなりにある雄牛のお墓です。

宮崎県家畜改良事業団 種雄牛の慰霊碑

2010年(平成22年)、口蹄疫により犠牲となった49頭が眠っています。

宮崎県家畜改良事業団

宮崎県家畜改良事業団

宮崎県家畜改良事業団は、宮崎県の黒毛和牛のうち種雄牛が住むところです。

宮崎県家畜改良事業団 牛舎

黒毛和牛の値段は、ほぼ血統で決まるといっても過言ではありません。

宮崎県家畜改良事業団 牛舎からこちらを見る雄牛

宮崎県には25万頭に及ぶ黒毛和牛がいますが、うち種雄牛は待機牛を合わせても100頭もいません。

宮崎県家畜改良事業団 牛舎

事業団にいる種雄牛は、少数精鋭のエリート集団です。

宮崎県家畜改良事業団 種雄牛の慰霊碑への道

門外不出の遺伝資源

宮崎県家畜改良事業団 牧場内

事業団の雄牛は、宮崎県独自で改良を進めてきた貴重な遺伝資源です。

宮崎県産牛の凍結精液・受精卵の県外持ち出し禁止を周知する生産者向けパンフレット

その精液や受精卵は、国外はおろか県外へ持ち出すことは許されません。

宮崎県家畜改良事業団 種雄牛の慰霊碑への道

2010年(平成22年)の口蹄疫

宮崎県家畜改良事業団 口蹄疫により殺処分した種雄牛を埋めた場所

口蹄疫(こうていえき)というのは、牛や豚など、蹄(ひづめ)が偶数の動物がかかる伝染病です。

宮崎県家畜改良事業団 口蹄疫により殺処分した種雄牛を埋めた場所

ものすごく伝染力が強いので、発症した際は治療はせず殺処分することになります。

宮崎県で発生した口蹄疫

宮崎県口蹄疫復興メモリアルサイト

しかも、発症した牛と同じ牛舎にいた牛は、健康でも全頭を処分することになっています。

宮崎県で発生した口蹄疫

宮崎県口蹄疫復興メモリアルサイト

2010年(平成22年)、この悪夢のような家畜伝染病が、宮崎県内の家畜を襲いました。

宮崎県農業科学館 口蹄疫に関する看板

終息までに、なんと30万頭もの家畜が殺処分されるという、まさに惨劇が繰り広げられました。

宮崎県農業科学館 口蹄疫メモリアルセンターの案内板と口蹄疫に関する看板

高鍋種雄牛センター

宮崎県家畜改良事業団 種雄牛のお墓

口蹄疫は、事業団のある高鍋町も襲っています。

宮崎県家畜改良事業団 種雄牛のお墓

当時、宮崎県の種雄牛は高鍋種雄牛センター1か所で集中管理していました。

2010年6月11日 読売新聞東京本社 朝刊 口蹄疫により宮崎県から牛がいなくなる危機を説明した新聞記事
2010年6月11日 読売新聞東京本社 朝刊

宮崎県の種雄牛が、いや黒毛和牛が全滅の危機にさらされていました。

種雄牛の生還は県をあげての悲願であり、全滅を避けたい事業団は、エース級の6頭を西都市の山奥にある尾八重牧場に避難させます。

宮崎県家畜改良事業団 尾八重牧場の忠富士のお墓
尾八重牧場で亡くなった「忠富士」の墓

残念なことに、避難した6頭のうち1頭は感染により失っています。

種雄牛の慰霊碑

のちに、高鍋種牛センターに残した種牛49頭も殺処分となっています。

種雄牛の慰霊碑

終息後生還した種雄牛は、わずか5頭でした。

種雄牛の慰霊碑とお墓

口蹄疫からの宮崎牛の復活は、エース牛5頭と亡くなった種牛の残した凍結精液なくしてはあり得ませんでした。

エリート牛の眠るお墓

種雄牛の慰霊碑の碑文
種雄牛ここに眠る

口蹄疫発生のさい高鍋種雄牛センターで亡くなった49頭は、すぐとなりの敷地に埋葬されました。

宮崎県家畜改良事業団 種雄牛の慰霊碑

埋葬された場所には、種雄牛の慰霊碑が建てられています。

宮崎県家畜改良事業団 種雄牛の慰霊碑に埋め込まれた50個のガラス玉

記念碑には、50個のガラス玉が埋め込まれています。

宮崎県家畜改良事業団 種雄牛の慰霊碑に埋め込まれた50個のガラス玉

ガラス玉は、高鍋種雄牛センターの49頭と尾八重牧場の1頭の御霊です。

宮崎県家畜改良事業団 埋め込まれた50個のガラス玉は、高鍋種雄牛センターの49頭と尾八重牧場の1頭の御霊です。

場所 宮崎県児湯郡高鍋町持田

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