道隆寺というのは、かつて鹿児島県肝付町にあった寺院です。
廃仏毀釈により廃寺となり、建物は残っていませんが多くの五輪塔が残ります。
鎌倉時代からの禅寺
道隆寺は、1246年、宋からやってきた蘭渓道隆禅師(らんけいどうりゅうぜんし) が開基した寺院です。
立ち並ぶ五輪塔は、鎌倉時代から戦国時代に建てられたものです。
近くには、高山城や肝付城があり、肝付氏との関係が深いことがわかっています。
戦国時代に激しく争った肝付氏と島津氏ですが、南北朝時代の終わりころには良好な関係にありました。
道隆寺にある島津氏の逆修塔がそれを裏付けます。
領主が島津氏となった後も隆盛したことが、 三国名勝図会からわかります。
廃仏毀釈で廃寺
道隆寺が廃寺となったのは、明治初期の廃仏毀釈によります。
この時、本堂や観音堂はもとより、石造物までも徹底的に壊されてしまいました。
戦後は、地元の方すら道隆寺の存在を忘れていたほどでした。
現在の姿は、五輪塔を発掘・再建し整備した姿です。
現在は、紅葉の名所として観光地となっています。
11月下旬から12月上旬が、紅葉の見ごろとなります。
1868年(明治元年)に、明治政府は、神仏分離令をだしています。
神仏分離令は本来、神道と仏教を分離するのが目的でした。
しかし、仏教に負担を感じていたり、寺院に反感を持っていた人々により、地域によっては仏教の排除・弾圧に結びつきました。
心霊スポット
道隆寺跡は寺院跡ということもあり、大隅半島の心霊スポットのひとつとしてうわさされます。
- お経を唱えるお坊さん
- 首を斬られた金剛力士像
- 山積みされたお坊さんの遺体
目撃される怪現象は、仏教にまつわるものばかりです。
お墓に眠る方たちそのものではなく、廃仏毀釈のさい、非道な扱いを受けた僧侶たちが関係するのではないかと考察されています。
場所 鹿児島県肝属郡肝付町新富
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