道隆寺跡の仁王像

道隆寺跡 廃仏毀釈による廃寺も現在は大隅半島の観光スポット

道隆寺というのは、かつて鹿児島県肝付町にあった寺院です。

道隆寺跡の仁王像

廃仏毀釈により廃寺となり、建物は残っていませんが多くの五輪塔が残ります。

鎌倉時代からの禅寺

蘭渓道隆禅師
蘭渓道隆禅師

道隆寺は、1246年、宋からやってきた蘭渓道隆禅師(らんけいどうりゅうぜんし) が開基した寺院です。

道隆寺跡の五輪塔群
道隆寺跡の五輪塔群

立ち並ぶ五輪塔は、鎌倉時代から戦国時代に建てられたものです。

肝付氏四代兼員の納骨五輪塔
肝付氏四代兼員の納骨五輪塔

近くには、高山城や肝付城があり、肝付氏との関係が深いことがわかっています。

道隆寺 観音堂跡
道隆寺 観音堂跡

戦国時代に激しく争った肝付氏と島津氏ですが、南北朝時代の終わりころには良好な関係にありました。

島津氏十代忠昌夫婦 逆修供養塔
島津氏十代忠昌夫婦 逆修供養塔

道隆寺にある島津氏の逆修塔がそれを裏付けます。

島津氏六代氏久 七代元久 逆修供養塔
島津氏六代氏久 七代元久 逆修供養塔
逆修塔というのは、死後の冥福を祈って、生前あらかじめ建てた塔のことです。
三国名勝図会 江戸時代の道隆寺
三国名勝図会 江戸時代の道隆寺

領主が島津氏となった後も隆盛したことが、 三国名勝図会からわかります。

道隆寺跡の鐘

廃仏毀釈で廃寺

道隆寺跡 入口

道隆寺が廃寺となったのは、明治初期の廃仏毀釈によります。

道隆寺跡へ行く途中の石碑

この時、本堂や観音堂はもとより、石造物までも徹底的に壊されてしまいました。

道隆寺跡の石垣

戦後は、地元の方すら道隆寺の存在を忘れていたほどでした。

道隆寺跡

現在の姿は、五輪塔を発掘・再建し整備した姿です。

道隆寺跡の石燈籠

現在は、紅葉の名所として観光地となっています。

道隆寺跡の墓石群

11月下旬から12月上旬が、紅葉の見ごろとなります。

道隆寺跡の紅葉

1868年(明治元年)に、明治政府は、神仏分離令をだしています。

神仏分離令は本来、神道と仏教を分離するのが目的でした。

しかし、仏教に負担を感じていたり、寺院に反感を持っていた人々により、地域によっては仏教の排除・弾圧に結びつきました。

道隆寺を整備された福谷平さんの功労碑
道隆寺を整備された福谷平さんの功労碑

心霊スポット

道隆寺 六地蔵塔
道隆寺 六地蔵塔

道隆寺跡は寺院跡ということもあり、大隅半島の心霊スポットのひとつとしてうわさされます。

道隆寺跡 東屋
道隆寺跡 東屋
  • お経を唱えるお坊さん
  • 首を斬られた金剛力士像
  • 山積みされたお坊さんの遺体
道隆寺跡 観音菩薩像
道隆寺跡 観音菩薩像

目撃される怪現象は、仏教にまつわるものばかりです。

道隆寺跡 記念碑群

お墓に眠る方たちそのものではなく、廃仏毀釈のさい、非道な扱いを受けた僧侶たちが関係するのではないかと考察されています。

道隆寺跡の植物

場所 鹿児島県肝属郡肝付町新富

道隆寺跡

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