旧花倉病院

旧花倉病院 8.6水害を語り継ぐ病院遺構と西郷どんが生き返った漁師の家

旧花倉(けくら)病院は、鹿児島市吉野町にある花倉病院の旧棟です。

旧花倉病院

1993年(平成5年)の8.6水害で被災した後、花倉病院は高台に新築移転しています。

旧花倉病院 裏山の崩落個所

解体されずに残る旧花倉病院は、8.6水害を語り継ぐ遺構となっています。

8.6水害

旧花倉病院への道

8.6水害(はちろくすいがい)といえば、鹿児島市では、1993年(平成5年)8月6日の豪雨災害のことを指します。

旧花倉病院

気象庁では、同年8月1日の始良郡での水害、いわゆる8.1 水害とあわせて、「平成5年8月豪雨」と命名しました。

旧花倉病院

8.6水害では、長梅雨で地盤がゆるんだところに、短時間に集中した雨が降ったことにより、河川の氾濫と土砂崩れが発生しています。

旧花倉病院
死者48名
行方不明者1名
重軽傷者52名
家屋全壊284戸
家屋半壊183戸
旧花倉病院

花倉病院の裏山の崩落

8.6水害時の旧花倉病院

8.6水害当時、花倉病院には付近の住民も避難をしていました。

8.6水害時の花倉病院

MBC南日本放送 あの日から25年「8・6豪雨災害」を振り返る

裏山で発生した土砂崩れが病院を襲い、患者9名、住民6名の合計 15 名が亡くなっています。

旧花倉病院と土砂崩れした山肌

花倉病院は、吉野町の高台に移転新築したことから、旧病院は解体が検討されました。

旧花倉病院

しかし、以下の理由で解体されないまま現在も残されています。

旧花倉病院
  1. 道が狭く、重機の搬入・廃棄物の搬出が困難
  2. 建物撤去で、地盤が崩落する危険性がある
旧花倉病院

竜ヶ水駅付近の土石流

8.6水害時の竜ヶ水付近の土石流

8.6 水害により、吉野町では複数個所で土砂崩れが発生しました。

8.6水害時の竜ヶ水駅

MBC南日本放送 あの日から25年「8・6豪雨災害」を振り返る

吉野町の錦江湾沿いには、日豊本線と国道10号線が通っています。

8.6水害時の国道10号線

MBC南日本放送 あの日から25年「8・6豪雨災害」を振り返る

鹿児島市内から県北、他県へ向かう大動脈でした。

旧花倉病院

8.6水害の際には、鉄道と国道が寸断されたことにより、約2,500 人が孤立しています。

旧花倉病院

場所

旧花倉病院 鹿児島県鹿児島市吉野町 9810

新花倉病院 鹿児島県鹿児島市吉野町 5147

旧花倉病院 立入禁止警告

西郷隆盛の蘇生の家

西郷隆盛の蘇生の家

花倉病院の入口にある茅葺屋根の建物は、西郷どんゆかりの史跡です。

西郷隆盛の蘇生の家 「土中の死骨」の説明板

1858年、井伊直弼の安政の大獄で、追われる身となった京都清水寺の僧、月照上人(げっしょうじょうにん)は、西郷隆盛とともに薩摩藩に逃れてきています。

西郷隆盛の蘇生の家

安政の大獄に反対する島津斉彬が急死したため、藩は月照上人の日向(現在の宮崎県)追放を決めます。

桜島と錦江湾

これに絶望した西郷隆盛は、月照上人とともに冬の錦江湾に入水自殺をしました。

西郷隆盛の蘇生の家 坂下永右衛門誕生の地の石碑

2人は、漁師坂下長右衛門に教助されましたが、月照上人はすでに亡くなっていました。

西郷隆盛の蘇生の家

西郷隆盛は、必死の介抱により息を吹き返しました。

西郷隆盛の銅像

一度は死んだ身となった西郷隆盛の、明治維新での活躍は周知の通りです。

場所 鹿児島県鹿児島市吉野町 9771

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