仙厳園は鹿児島県を訪れる人なら誰もが知る、鹿児島市の観光地です。
かつて磯庭園とよばれ、ロープウェイがあったのを知る人は少なくなってきました。
磯庭園
仙厳園は、1658年、島津家第 19代・島津久光が築いた島津家の別邸です。
その当時から庭園は一大景勝地であり、名称を仙厳園としています。
廃藩置県後も、賓客をもてなす場所として島津氏が所有管理していました。
ところが、昭和時代に入ると島津氏は市に管理を委ねます。
1949年(昭和24年)に鹿児島市は、庭園の一般開放をはじめました。
その時の名称が磯にある公園ということで「磯公園」になりました。
1957年(昭和32年)には、島津興業という会社が管理するようになりました。
このとき公園という名称が民間会社の所有管理地であるため使えなくなります。
そのため「磯庭園」という名称になり、定着していました。
ところが、1997年(平成7年)、正式名称である仙厳園に統一することが決まりました。
当面は、磯庭園という名称も併記されていました。
仙厳園が定着してきた現在、磯公園という名称が併記されることはなくなりました。
そのため、磯庭園とよぶのは完全な間違いとはいえません。
しかし、若い人や県外の人には通じないことが多くなってきています。
磯山遊園地ロープウェイ
仙厳園の裏にある山「集仙台」には、仙厳園から歩いて登ることができます。
もうひとつの山「磯山」には、一般の人は仙厳園から歩いて登ることができません。
かつて、磯山の山頂にあったのが磯山遊園地です。
磯山遊園地行きのロープウェイ
— 仙巌園公式 (@senganen) December 13, 2017
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1959年(昭和 34年)から1993年(平成5年)までは、磯庭園とロープウェイで結ばれていました。
【仙巌園のロープウェイ】 皆さま、おやっとさぁ~!1月8日は、成人の日でしたね。新成人の皆さま、誠におめでとうございます!昔の写真を懐かしく見かえした方も多いのではないでしょうか? わたしも、仙巌園の画像を整理していましたら、このような写真…
名勝 仙巌園さんの投稿 2018年1月10日水曜日
水害の後、安全のため運休したまま再開されることなく廃止されました。
その後、ロープウェイは撤去されており、現在は残されていません。
磯庭園の駅を山麓駅、磯山の駅を山頂駅とよんでいました。
今ブランドショップがある場所が、むかし山麓駅があった場所です。
かつて磯山遊園地のあった山頂駅側は、磯山公園となっていてサクラの名所です。
サクラの開花時期だけ解放されますが、通常は入ることができません。
園内施設
仙厳園では、薩摩藩時代からのすばらしい庭園を見ることができます。
藩政下では一般の人は絶対に入れなかったであろう御殿の中にも、入ることができます。
有料となりますが、わずかな料金で殿さま気分が味わえます。
絶対に「入場券+御殿のチケット」がおススメです。
主な見どころを順路順に並べます。
製鉄所反射炉跡
集成館事業で建設した、洋式製鉄所の反射炉跡です。
薩摩国では石炭が採れなかったため、純度の高い木炭を量産しています。
水を確保するため、稲荷川から8キロに及ぶ水路を引き動力源にしています。
錫門(すずもん)
錫門は、仙厳園の正門だった錫製の門です。
朱色に塗装されています。
錫は薩摩藩で採鉱される金銀とならぶ貴重な金属でした。
のちに大きな正門がつくられています。
磯御殿
磯御殿は、仙厳園のメイン建築物です。
古くは島津氏の別邸として、廃藩置県後は迎賓館として使われました。
NHKの大河ドラマ「西郷どん」でも、全編通して御殿での撮影シーンが使われています。
獅子乗大石灯籠
獅子乗大石灯籠は、仙厳園内にある石灯籠のなかでも最大の石灯籠です。
上に乗っているのは、飛獅子といいます。
とても大きな石灯籠で、笠石は畳8畳分の広さがあります。
鶴灯龍
ただの石灯籠ではありません。
島津斉彬が、集成館事業でガス灯の実験をするために造られた石灯篭です。
鶴が羽を伸ばしたような形をしているため、鶴灯籠とよばれています。
御庭神社
廃藩置県により、鶴丸城が廃城となったため、磯邸が島津本家の住居となりました。
島津家最後の藩主、島津忠義も明治30年に亡くなるまで、御殿でくらしています。
その後、1918年(大正7年)に、鶴丸城や他の別邸にあった13の神社を合祀した神社です。
合祀した13社とご利益は以下のとおりです。
開 運 | 必 勝 | 学 業 | 交 通 | 商 売 | 農 業 | 生 活 | 縁 結 | 夫 婦 | 安 全 | 健 康 | 子 孫 | |
朝日 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||
厳島 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||
鶴丘八幡 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||
八幡 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||||
菅原 | 〇 | 〇 | ||||||||||
鷹屋 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||
大国 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||
春日 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||
諏訪 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||
愛宕 | 〇 | 〇 | 〇 | |||||||||
稻荷 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||
孤 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||||||
五所大明神 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
猫神神社
文禄慶長の役に参加した島津義弘公は、朝鮮に七匹の猫を連れて行きました。
猫の瞳孔の開き具合を見て、時刻を判断するためです。
猫神神社は、戦地から生還した2匹の猫をまつっています。
時の記念日には、時計業者の人々が例祭を行います。
濾過池(ろかち)
濾過池は、仙厳園の水源です。
大きな切石で造られた平屋建ての建物で、地下で取水し濾過したのち園内に配水する施設です。
周辺施設
仙厳園の園内だけでなく、周囲には薩摩藩ゆかりの歴史的遺構を見ることができます。
鶴嶺神社
鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)は、仙厳園の入口にある神社です。
仙厳園に入場しなくても参拝できます。
島津氏初代忠久公以降の歴代当主とその家族をまつります。
尚古集成館
尚古集成館は、島津斉彬の集成館事業にまつわる資料を展示してある建物です。
斉彬公は薩摩藩のみならず、日本の将来を見据えていたことがわかります。
鎖国時代に欧米の技術を取り入れていたことにより、アジア諸国の中ではいち早く工業が発展しました。
そのため我が国は、欧米の植民地になることがなかったといわれています。
鹿児島紡績所技師館(異人館)
集成館事業で薩摩藩技術者に紡績技術を教えるため、イギリスから技師を招いています。
鹿児島紡績所技師館(異人館)は、技師が滞在していた宿舎です。
1867年に建てられたもので、日本における初期の洋風建築物です。
のちに病院や学校としても使われていました。
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