福沢小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。
40年近く前に閉校し、校舎こそ残っていませんが、跡地には学校遺構として多くの石碑群が残されています。
福沢地区
国分から福沢地区へ行くには、国道504号線から、鹿児島県道495号 志柄宮ケ原福山線に入り、曽於市に向かって走ります。
周辺はのどかな山村です。
福沢小学校の跡地は、福沢地区公民館になっています。
当時の校舎はありませんが、広い敷地はここに学校があったことを物語っています。
校庭の周囲にはサクラが植えられていますが、閉校後西暦2000年を記念して植樹されたものです。
福沢地区公民館
公民館の建物は、閉校後に建てられたものです。
したがって、福沢小学校の現役時代にはありませんでした。
学校遺構
福沢小学校の閉校は、1983年(昭和58年)です。
閉校後40年経過していますが、学校の面影が残っています。
校門
小学校跡の入口には、コンクリート製の校門が残されています。
表札は、福沢小学校のものなのか、福沢公民館のものなのか、もはや字が消えて確認できません。
校舎
校舎があったのは、敷地内の北側です。
過去の航空写真を見ると、運動場の北側に複数棟の建物があったのがわかります。
2000年代の航空写真では、校舎が取り壊され、公民館が建ったのがわかります。
校舎跡は草原になっていて、建物の痕跡はありません。
体育館
体育館は1972年(昭和47年)に、小学校の施設として建てられたものです。
閉校後、福沢体育館として使われています。
現役施設です。
百周年記念碑
福沢小学校は、1973年(昭和48年)に百周年を迎えています。
百周年記念事業のさいには、10年後に閉校を向えると考える関係者は、誰ひとりいなかったでしょう。
百周年記念碑の碑文によれば、1963年(昭和38年)には、児童数は394名、12学級があったとされます。
閉校記念碑
閉校記念碑です。
「百有余年 福沢の子ら この地に学ぶ」と彫られています。
礎石には一見、何も彫られていないように見えます。
近くで見ると、びっしりと碑文が刻まれています。
石碑群
閉校記念碑横の石碑ですが、碑文は判読できません。
昭和57年度学校職員、つまり福沢小学校の最後の先生方の碑です。
岡山翁頌徳碑は、この地で何らかの功績を残した岡山氏を称える石碑です。
校門横の石碑も、苔むしたうえ達筆のため判読できませんでした。
卒業された方たちが、何かを寄贈した際の記念碑です。
木製の標柱は、文字が消えかけていて、判読できませんでした。
沿革
1873年(明治6年) | 西曽於郡福沢村川路原にて創立 |
1889年(明治22年) | 福沢尋常小学校へ改称 |
1912年(明治45年) | 現在地へ移転 |
1941年(昭和16年) | 福沢国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 福山町立福沢小学校へ改称 |
1983年(昭和58年) | 福山町立牧之原小学校へ統合 閉校 |
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