宮浦宮

宮浦宮 福山の夫婦イチョウがそびえる大隅国式内社

宮浦宮(みやうらぐう)は、鹿児島県霧島市福山町にある神社です。

宮浦宮

大隅国にある式内神社5社のひとつに数えられる古社です。

大隅国式内社

宮浦宮は、延喜式神名帳に名を連ねる式内社です。

延期式内社宮浦宮の碑

延喜式神名帳というのは、927年に作成された全国の官社リストです。

宮浦宮 鳥居

大隅国には5社の式内社がありました。

  • 鹿兒島神宮 霧島市隼人町
  • 大穴持神社 霧島市国分広瀬
  • 宮浦神社 霧島市富久山町
  • 韓国宇豆峯(からくにうずみね)神社 霧島市国分上井
  • 益救(やく) 神社 屋久島町宮之浦
宮浦宮 扁額

要するに、927年ごろには、すでに格式の高い神社だったということです。

歴史

宮浦宮から見た桜島

宮浦宮は、錦江湾を挟んで桜島が見える景勝地にあります。

宮浦宮から見た桜島

同時にそれは、桜島が噴火すると被災することを意味します。

宮浦宮 社殿

最近では、1791年の大火で社殿を焼失しています。

宮浦宮 参道の石段

しかし、薩摩藩主であった、島津斉宣が再興しています。

宮浦宮 社殿

1877年(明治10年)には、西南戦争による戦火により被災しています。

夫婦イチョウ

宮浦宮は、神武天皇が東征以前に仮の宮居にしていたと伝えられます。

宮浦宮 神武天皇の碑

境内のイチョウは、神武天皇が東征に旅立つ際、その記念に植えたものを植え継いでいるといわてれます。

宮浦宮と福山のイチョウ

神武東征は、紀元前667年のことですので、2600年も前からのいい伝えです。

宮浦宮と福山のイチョウ

イチョウの巨木は境内に2本あり、夫婦イチョウとよばれています。

福山のイチョウの標柱

実際見て樹齢はどのくらいかと聞かれても、さっぱり見当もつきません。

福山のイチョウの説明板

一般的には、1000年は越えているといわれています。

南側の福山のイチョウ

南側のイチョウには、1791年の大火の焼け跡が残っているといわれています。

北側の福山のイチョウ

さらに北側のイチョウには、1877年の西南戦争の弾痕が残っているといいます。

北側の福山のイチョウ

痕跡をさがしてみましたが、いずれも自力では発見できませんでした。

南側の福山のイチョウ

桜島の噴火や、地震・台風・雷・火事などの自然災害のなかを1000年も生き抜いているイチョウです。

宮浦宮 紅葉した夫婦イチョウ

現在もその樹勢は衰えていないということです。

秋の宮浦宮

ということで、色づいた夫婦イチョウのようすです。

宮浦宮 紅葉した夫婦イチョウ

秋には、参拝者が絶え間なく訪れていました。

宮浦宮のイチョウ

それはもちろん、夫婦イチョウを見に来る人が増えるからです。

秋の宮浦宮境内

ご祭神

秋の宮浦宮境内

神武天皇と天神七代 12柱、地神5代5柱の計 18 柱をまつります。

宮浦宮 拝殿

神武天皇

日向国から大和国へ東征をし、日本国を建国したとされる神さまです。

宮浦宮 拝殿

日本国の初代天皇といわれ、天神七代と地神五代の次代にあたります。

天神七代(かみよのななよ)

地神5代以前に日本を治めていた7代の神のことです。

宮浦宮 手水舎

陽神(男神)と陰神(女神)があります。

  • 国常立神(くにのとこたちのか)
  • 豊雲野神(とよぐものむのかみ)
  • 宇比地邇神と須比地邇神(うひじにのかみ)
  • 角代神(つぬぐのかみ)と活代神(いくぐのかみ)
  • 意富斗能地神(おおとのじのかみ)と大斗乃井神(おおとのべのかみ)
  • 於母陀琉神(おもだるのかみ)と阿夜可志古泥神(あやかしこねのかみ)
  • 伊邪那岐神(いざなきのかみ)と伊邪那美神(いあなみのかみ)

地神五代(ちじんごだい)

天神七代と人皇の間、5代の神さまです。

宮浦宮 手水舎

地神というのは地の神のことで、天神は天の神のことです。

宮浦宮 手水舎

神武天皇以前の皇祖5代を指します。

  • 天照大御神(あまてらすおおのかみ)
  • 天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
  • 火選々杵尊(ににぎのみこと)
  • 火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
  • 鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)

福山町

宮浦宮は国道220 号線沿いで、国道から鳥居も見えますが、少し脇道に入ったところにあります。

カーナビかグーグルマップに登録して行かないと、見落としそうな感じです。

宮浦宮 鳥居

錦江湾の北部は、いってみれば姶良カルデラのカルデラ湖のようなものです。

宮浦宮 鳥居と石段

国道 220 号線はカルデラの中を走っていますので、陸地側は急斜面で外輪山になっています。

福山町の石垣

周辺の石垣や建物をみると、昔から人が住み発展していたことがうかがえます。

福山町の町並み

ただし、新しい町ではない分、道路は自動車での通行を前提としていません。

宮浦宮 石段

宮浦宮の駐車場は、参道とは反対側です。

境内より高い位置にあります。

宮浦宮 参道

社殿の裏側から境内に向かう形になります。

本来の参道は国道 220 号線側です。

場所 鹿児島県霧島市福山町福山 2437

観光パンフレット

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