二重峠(ふたえのとうげ)は、熊本県阿蘇市にある峠です。
旧豊後街道の坂道には、通行しやすいように石畳が敷き詰められています。
豊後街道の石畳
二重峠の石畳は、加藤清正が熊本城主時代に造ったといわれています。
肥後国(現在の熊本県)と豊後国(現在の大分県)を結ぶ豊後街道の一部となります。
峠の急坂には1.6kmにわたり石畳が敷き詰められています。
熊本藩細川氏が参勤交代で通っていました。
石畳は藩政時代を通じて、周辺に住む農民に公役として割り当て、手入れされてきました。
西南戦争の激戦
交通上の要衝であり、他に逃げ場のない峠道は、しばしば戦乱の地となります。
二重峠は、日本国内最後の内戦・西南戦争において激戦地となりました。
薩軍が占領していた二重峠を、官軍が攻撃し数時間に及ぶ戦闘が繰り広げられました。
二重峠の戦いでは、峠の上部に陣を構える薩軍が峠を死守しています。
官軍側は鳥羽伏見の戦いで名を挙げた、会津藩の佐川官兵衛を失なうなど大きな損害を受けています。
心霊スポット
二重峠から見おろすと、阿蘇の絶景が広がります。
とても景観のすばらしい場所なのですが、熊本の心霊スポットのひとつとされています。
- 武士の霊が出没する
- 静かな中に武士が戦う声が聞こえてくる
- 夏の夜になると生暖かい風が吹く
もちろん、西南戦争の激戦に起因したものです。
場所 熊本県阿蘇市車帰
関連記事
【関連記事】臼内切(千人塚) 地元の人も行くのをはばかるキリシタン伝説の地
【関連記事】押戸石の丘 マゼノミステリーロード沿いの謎に包まれた巨石群
【関連記事】卑弥呼の里 阿蘇の草原に残される大型リゾート構想の夢の跡