卑弥呼の里は、熊本県産山村にある廃宿泊施設です。
![阿蘇郡産山村に残る廃リゾート施設「卑弥呼の里」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
本当に産山村に邪馬台国があったかどうかはわかりませんが、リゾート施設「卑弥呼の里」は現存しています。
卑弥呼
![廃リゾート施設「卑弥呼の里」のパンフレット](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
卑弥呼というのは、もちろんあの邪馬台国の女王です。
![ヒゴタイロードから見える卑弥呼の里](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ただ、邪馬台国がどこにあったかというのは諸説あり、確定的な学説はありません。
![ヒゴタイロードから見える卑弥呼の里](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
九州説は有力ではあるのですが、九州の全域に渡って諸説が乱立しています。
![ヒゴタイロードから見る卑弥呼の里](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
- 北部九州広域説
- 福岡県・筑後平野説
- 福岡県・大宰府説
- 大分県・宇佐神宮説
- 宮崎県・西都原説
![ヒゴタイロードから見る卑弥呼の里](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
確かに、熊本県内に限ると阿蘇とか菊池ということになっています。
![廃リゾート施設「卑弥呼の里」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
卑弥呼の里というのは、強引ですがあり得なくはないネーミングでした。
![廃リゾート施設「卑弥呼の里」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
サマーピクニック1981
![廃リゾート施設「卑弥呼の里」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
サマーピクニックといのは、南こうせつさんが毎年夏に開催していたイベントです。
![廃リゾート施設「卑弥呼の里」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ゲストを迎えてオールナイトで野外コンサート、今でいえば夏フェスです。
![廃リゾート施設「卑弥呼の里」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
その第1回目の開催場所が、卑弥呼の里だったのです。
![廃リゾート施設「卑弥呼の里」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1981年(昭和56年)7月26日、ゲストは伊勢正三さんと五十嵐浩晃さんでした。
![廃リゾート施設「卑弥呼の里」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
このとき、「人口2000人の村に観客8000人が集まった」という記録が残っています。
![廃リゾート施設「卑弥呼の里」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ただし、イベントは落雷により中断したといいます。
![廃リゾート施設「卑弥呼の里」](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
リゾートタウン構想
![卑弥呼の里 エントランス](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
総合リゾートタウン「卑弥呼の里」構想が発表されたのは、1978年(昭和53年)のことでした。
![うぶやま牧場と風車](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
まだ、うぶやま牧場もやまなみゴルフ倶楽部もなかった時代です。
![卑弥呼の里](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
村をあげた過疎対策事業でしたが、事業主体は東京の不動産開発会社ドッパーです。
![卑弥呼の里 エントランス](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
計画は宿泊施設だけでなく、飲食店街、体育施設、観光牧場なども含めた大型リゾート施設構想でした。
![卑弥呼の里 カウンター](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
その総額はなんと247億円で、調達方法の大部分は全国の投資家からの出資というものでした。
![1976年(昭和51年) 開発前の卑弥呼の里](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ドッパーは頭金として850人から38億円を集めることに成功し、第一期工事がはじまります。
![2016年(平成28年)の卑弥呼の里 右上がうぶやま牧場右下がやまなみゴルフ倶楽部](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1981年(昭和56年)に、ホテルと別荘棟が建ちました。
![卑弥呼の里 ロビー](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、出資金はそれ以上集まることはありませんでした。
![卑弥呼の里](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1982年(昭和57年)、ホテルの内装工事を終える前にドッパーは倒産しています。
![卑弥呼の里](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
こうして、卑弥呼の里は開業することなく、放置されることになっています。
![卑弥呼の里](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
まとめ
![卑弥呼の里 南側の棟](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現在も、産山村の草原のなかに卑弥呼の里は残されています。
![卑弥呼の里 南側の棟1階](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
投資者が多いので、不動産の権利関係はかなり複雑なはずです。
![卑弥呼の里 南側の棟1階内部](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
当時、法的な手続きを進める中で、だれも買い手がなく換金できていません。
![卑弥呼の里 南側の棟](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しばらくすると資産価値は落ちてしまい、解体できない廃墟物件ができあがっています。
![卑弥呼の里 南側の棟](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所 熊本県阿蘇郡産山村大利
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