花瀬望比 (はなせぼうひ) 公園というのは、 鹿児島県指宿市にある公園です。
旧日本軍のフィリピン作戦で戦死した方々の冥福を祈る地となります。
フィリピン作戦
大東亜戦争において日本軍は通年にわたりフィリピンで戦っています。
1941年から1942年のフィリピン作戦は、大きな損害を出すことなく短期間でマニラを占領しています。
以降は、連合軍の支援を受け島内に潜むゲリラ勢力との交戦が続きます。
1944年から1945年にかけては、フィリピン奪回を目指す連合軍と戦火を交えることになります。
我が国にとってフィリピンの喪失は、南方資源が断たれることを意味していました。
フィリピン防衛戦が、以後の戦局に大きな影響を与えることは明らかでした。
レイテ島の激戦
レイテ沖海戦における海軍の誇大戦果発表で、陸軍は戦況を見誤ることになります。
日本軍は、上陸する連合軍を殲滅しようとレイテ島に大増援部隊を送ります。
しかし、壊滅したはずの米軍機動部隊から空襲を受け、 兵員や物資が海に沈みます。
増援部隊の損害により、兵員・物資ともに乏しい戦いとなりました。
さらに制海権を失い、海上補給もままならず日本軍は飢えとも戦うことになります。
こうしてレイテ島への連合軍の上陸を許し、 その後の戦いでも劣勢を強いられています。
フィリピンでの戦没者は、 同島に従軍した 3/4 にあたる 50万人に上るといわれています。
花瀬崎
この場所では、イソギンチャクが殻の中から5色の花を咲かせていたため、花瀬と名付けられています。
岬の突端の延長線上 1900kmにある比島(フィリピン)を臨むことから望比といいます。
ご英霊の安らかな眠りを願うため、たくさんのモニュメントが置かれます。
レイテの森
レイテの森というのは、まさに激戦地・レイテ島の密林を彷彿とさせる森です。
ご英霊たちは、レイテ島の熱帯雨林の中で戦いました。
死生の扉
死生の扉の延長線上がフィリピンになります。
フィリピン戦で殉職された兵士の精霊が、祖国に凱旋した扉です。
比島戦没者慰霊碑
戦争の悲劇を語り継ぎ、これからの平和を望む慰霊碑です。
フィリピンの密林で集められた遺骨が象徴遺骨として、 鉄兜直下に埋葬されています。
92式重機関銃
92式重機関銃は、まさにフィリピン作戦で使われた旧日本軍の機関銃です。
遺骨収集の際、鉄兜とともに日本へ持ち帰られました。
殉国戦士面影の像
フィリピンの密林で命をかけて戦う、我が軍の兵士を再現しています。
戦士のおもかげの像
戦友に抱き起され、 我が国へ戻ってきたご英霊の姿です。
想比母子の像
想比之碑は、フィリピン方向を見つめて、 無事に帰還することを祈る兵士の家族の象徴です。
安らぎの鐘
1900km かなたのフィリピンに響き渡り、地下に眠る兵士の霊を慰めます。
併せて世界平和を祈る鐘です。
縄状玄武岩
海岸にあるごつごつした岩場は、弥生時代の開聞岳の噴火で流れてきた溶岩です。
玄武岩質安山岩で、花瀬崎では典型的な縄状構造が見られます。
流れる溶岩が地上に障害物があると、うねうねと曲がったりねじれたりすることで形成されます。
縄状玄武岩といい、 独特の風景を生み出しています。
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