卑弥呼の里

卑弥呼の里 阿蘇の草原に残される大型リゾート構想の夢の跡

卑弥呼の里は、熊本県産山村にある廃宿泊施設です。

阿蘇郡産山村に残る廃リゾート施設「卑弥呼の里」

本当に産山村に邪馬台国があったかどうかはわかりませんが、リゾート施設「卑弥呼の里」は現存しています。

卑弥呼

廃リゾート施設「卑弥呼の里」のパンフレット

卑弥呼というのは、もちろんあの邪馬台国の女王です。

ヒゴタイロードから見える卑弥呼の里

ただ、邪馬台国がどこにあったかというのは諸説あり、確定的な学説はありません。

ヒゴタイロードから見える卑弥呼の里

九州説は有力ではあるのですが、九州の全域に渡って諸説が乱立しています。

ヒゴタイロードから見る卑弥呼の里
  • 北部九州広域説
  • 福岡県・筑後平野説
  • 福岡県・大宰府説
  • 大分県・宇佐神宮説
  • 宮崎県・西都原説
ヒゴタイロードから見る卑弥呼の里

確かに、熊本県内に限ると阿蘇とか菊池ということになっています。

廃リゾート施設「卑弥呼の里」

卑弥呼の里というのは、強引ですがあり得なくはないネーミングでした。

廃リゾート施設「卑弥呼の里」

サマーピクニック1981

廃リゾート施設「卑弥呼の里」

サマーピクニックといのは、南こうせつさんが毎年夏に開催していたイベントです。

廃リゾート施設「卑弥呼の里」

ゲストを迎えてオールナイトで野外コンサート、今でいえば夏フェスです。

廃リゾート施設「卑弥呼の里」

その第1回目の開催場所が、卑弥呼の里だったのです。

廃リゾート施設「卑弥呼の里」

1981年(昭和56年)7月26日、ゲストは伊勢正三さんと五十嵐浩晃さんでした。

廃リゾート施設「卑弥呼の里」

このとき、「人口2000人の村に観客8000人が集まった」という記録が残っています。

廃リゾート施設「卑弥呼の里」

ただし、イベントは落雷により中断したといいます。

廃リゾート施設「卑弥呼の里」

リゾートタウン構想

卑弥呼の里 エントランス

総合リゾートタウン「卑弥呼の里」構想が発表されたのは、1978年(昭和53年)のことでした。

うぶやま牧場と風車

まだ、うぶやま牧場もやまなみゴルフ倶楽部もなかった時代です。

卑弥呼の里

村をあげた過疎対策事業でしたが、事業主体は東京の不動産開発会社ドッパーです。

卑弥呼の里 エントランス

計画は宿泊施設だけでなく、飲食店街、体育施設、観光牧場なども含めた大型リゾート施設構想でした。

卑弥呼の里 カウンター

その総額はなんと247億円で、調達方法の大部分は全国の投資家からの出資というものでした。

1976年(昭和51年) 開発前の卑弥呼の里
1976年(昭和51年) 開発前の卑弥呼の里

ドッパーは頭金として850人から38億円を集めることに成功し、第一期工事がはじまります。

2016年(平成28年)の卑弥呼の里 右上がうぶやま牧場右下がやまなみゴルフ倶楽部
2016年(平成28年)の卑弥呼の里 右上がうぶやま牧場右下がやまなみゴルフ倶楽部

1981年(昭和56年)に、ホテルと別荘棟が建ちました。

卑弥呼の里 ロビー

しかし、出資金はそれ以上集まることはありませんでした。

卑弥呼の里

1982年(昭和57年)、ホテルの内装工事を終える前にドッパーは倒産しています。

卑弥呼の里

こうして、卑弥呼の里は開業することなく、放置されることになっています。

卑弥呼の里

まとめ

卑弥呼の里 南側の棟

現在も、産山村の草原のなかに卑弥呼の里は残されています。

卑弥呼の里 南側の棟1階

投資者が多いので、不動産の権利関係はかなり複雑なはずです。

卑弥呼の里 南側の棟1階内部

当時、法的な手続きを進める中で、だれも買い手がなく換金できていません。

卑弥呼の里 南側の棟

しばらくすると資産価値は落ちてしまい、解体できない廃墟物件ができあがっています。

卑弥呼の里 南側の棟

場所 熊本県阿蘇郡産山村大利

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