平鹿倉(ひらかくら)小学校は、かつて鹿児島県吹上町(現在の日置市)にあった、公立小学校です。
平鹿倉小学校跡には、3つの見どころがあります。
- 平鹿倉の太陽の塔
- ピザ窯
- 平鹿倉のイヌマキ
平鹿倉の太陽の塔
太陽の塔というのは、1970年(昭和45年)に開催された大阪万博のために造られた芸術作品です。
作者はあの「芸術は爆発だ」で有名な、岡本太郎氏です。
太陽の塔 オフィシャルサイト
現在も吹田市の万博記念公園に現存しています。
本物の太陽の塔は、高さが約70mにもなり、内部に入ることもできます。
これまで、少なからず閉校した小学校を見てきましたが、太陽の塔のモニュメントを見たのは、唯一平鹿倉小学校だけです。
何せ、大阪万博が開催されてから、半世紀以上の時が流れています。
平鹿倉の太陽の塔も、大阪万博と同年度に造られています。
ピザ窯
平鹿倉小学校跡は、平鹿倉公民館となっています。
平鹿倉公民館では、地域の交流人口を増やす取組をしています。
そのひとつが、ビザ窯です。
公民館のとなりに、ビザ窯を造り一般の方に貸出しています。
平鹿倉公民館 / 鹿児島県日置市
訪れた日はちょうどメンテナンスというか、工事をしていて写真が撮れませんでした。
ブールではニジマス釣り大会をするなどして、地域を盛り上げています。
平鹿倉のイヌマキ
平鹿倉小学校跡では、運動場の一番隅にあるイヌマキの木が見どころのひとつとなっています。
鹿児島では、島津氏が藩命で率先して植えられた木となります。
防風林や並木道でよく見られ庭にも植えられるため、そう珍しい木ではありません。
ただし、成長スピードが遅いので大木になる木は希少です。
学校遺構
公民館の前に、小学校の記念碑があります。
往時の石造門柱でしょうか?
閉校記念碑です。
裏面には校歌が書かれています
子供たち作の閉校記念碑です。
「平鹿倉中学校跡の碑」、中学校の閉校記念碑です。
太陽の塔のところにあった創立百周年記念碑です。
ツツジの葉で読めませんが、簡単な沿革と百周年事業の内容が書かれています。
公民館の建物は、閉校後に建てられたものです。
2010年(平成22年)の平鹿倉公民館の航空写真でいうと、左が公民館の建物で右が体育館です。
1981年(昭和56年)の航空写真を見ると、体育館は小学校時代からあることがわかります。
閉校から長い年月が経ちますが、学校の雰囲気を残したまま地域で活用されています。
現在も住民の憩いの場という雰囲気がしました。
沿革
1883年(明治16年) | 伊作小学校第六分校として創立 |
1886年(明治19年) | 平鹿倉簡易小学校として独立 |
1941年(昭和16年) | 平鹿倉国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 伊作村立平鹿倉小学校へ改称 |
1955年(昭和30年) | 吹上町立平鹿倉小学校へ改称 |
1985年(昭和60年) | 吹上町立伊作小学校と統合し閉校 |
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