市房山信仰は霊峰市房をご神体とする山岳信仰です。
その象徴となるのが市房山神宮です。
市房山神宮とは?
人吉球磨の最高峰が市房山になります。
古来から人吉球磨の人々は市房山を信仰の対象としてきました。
市房山のことを「お嶽さん」と呼び親しんでいました。
市房山神宮が建立されたのは平安時代にさかのぼります。
市房山神宮が建立されたのは807年のことでした。
場所は市房山の中腹(4合目)となります。
お嶽さん参りとは?
時は流れ、1582年、安土桃山時代のことです。
この地を治めていた相良藩で「化け猫騒動」が起きます。
相良氏は猫の怨念を鎮めるために、「化け猫騒動」に関連のある市房山神宮などをお参りするように命じました。
これを「お嶽さん参り」とよんでいます。
代々の相良藩主も自ら「お嶽さん参り」をしました。
当初は藩主の命令により領民も「お嶽さん参り」をはじめました。
やがて、年に1度の楽しいお祭りとして地域の人々に定着することになります。
登山口付近では出店が並び、普段出合うことのない人々同士の交流が生まれました。
多くに人が集まる「お嶽さん参り」は、男女の出合いのきっかけや、人々の交流の場として年に1度の楽しみな行事になっていきました。
市房山神宮が縁結びの神様として名高いゆえんでもあります。
お嶽さん参りは1960年代まで、300年間もにぎわうことになります。
市房山三神宮とは?
市房山神宮は三社構成となっています。
- 山中の市房山神宮本宮
- 山麓の中宮(一宮神社)
- 湯前町の下宮(里宮神社)
まとめ 日本遺産人吉球磨
廃藩置県で人吉藩がなくなった後も「お嶽さん参り」は続きました。
1924年(大正13年) 湯前線開通後は、多くの人が湯前駅から徒歩で市房山登山口を目指したといいます。
にぎわいを見せた「お嶽さん参り」ですが、1970年代(昭和40年代)に入ると次第に衰退していきます。
現在ではその風習を知る人も少なくなってきました。
現在でも良縁に恵まれるよう縁結び祈願に訪れる人や、地元の人などは「お嶽さん参り」を続けているようです。
市房山神宮本宮は、日本遺産人吉球磨の構成文化財31番となっています。
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