鴨池空港 滑走路跡

鴨池空港 昭和時代中盤までの鹿児島県の空の玄関口

鴨池空港はというのは、かつて鹿児島市にあった空港です。

鴨池空港滑走路跡と鹿児島県庁

現在は、鴨池ニュータウンや県の行政機関の集積地となっています。

鴨池空港は通称

鴨池球場の照明塔
鴨池球場の照明塔 (平和リース球場)

鴨池空港はもともとは、1932年(昭和7年)奄美や沖縄空路の起点としてできた市営飛行場でした。

鹿児島県庁
鹿児島県庁 庁舎

戦後、鹿児島空港として再開し、鹿児島市民からは「鴨池空港」の愛称で親しまれました。

鴨池空港滑走路跡と鹿児島県庁
鴨池空港の滑走路跡

鹿児島空港が正式名称で、現在霧島市にある鹿児島空港の前身です。

鹿児島市の中心部から近く、とても利便性の高い空港でした。

1966年(昭和41年) 現役時の鴨池空港の航空写真
1966年(昭和41年) 現役時の鴨池空港

反面、市街地の海岸沿いで拡張性に乏しく、飛行機のジェット化や大型化に対応できないと判断されました。

1974年(昭和49年) 閉港直後の鴨池空港の航空写真
1974年(昭和49年) 閉港直後の鴨池空港

現在の技術であれば、海上に広げることができたはずです。

鴨池空港の滑走路跡
鴨池空港の滑走路跡

しかし、当時の技術ではムリと判断され、さらに騒音問題も突き付けられていました。

鴨池空港跡
鴨池球場誘導路跡

1972年(昭和47年)に、現在の鹿児島空港にその役割を譲ることになります。

鴨池空港の滑走路跡と鴨池ニュータウン
鴨池空港滑走路跡と鴨池ニュータウン

空港移転後鹿児島市からは離れたものの、県内のみならず九州南部全域から集客できるようになっています。

鴨池フェリーターミナルと桜島
鴨池空港閉港後できた鴨池港フェリーターミナルと桜島

南西諸島のハブ空港でもあり、利用者は九州では福岡空港に次いで第2位となっています。

鴨池ニュータウン
鴨池ニュータウン

鴨池空港跡地には計画都市が広がり、空港移転の成功事例と評価されています。

鴨池空港跡の鴨池ニュータウン
鴨池ニュータウン

空港遺構

空港は大部分が更地なので、もともと遺構はわずかでした。

鴨池空港ターミナルビル

ウィキペディア / 鹿児島空港

現在は、鴨池空港時代からある建造物は何もなくなっています。

ターミナルビル

鴨池空港ターミナルビル

鹿児島の”まち”を考える / 翼よ!あれが鴨池空港跡ごわす-かごんま今昔。

鴨池空港ターミナルビルは転用され残っていましたが、2014年(平成26年)に解体されています。

鴨池空港ターミナルビル跡に建てられたスーパーニシムタスカイマーケット鴨池店

跡地は地元のスーパーである、ニシムタ鴨池店になっています。

鴨池空港ターミナルビル跡に建てられたスーパーニシムタスカイマーケット鴨池店

スカイマーケットなのは、もちろん空港の名残りです。

鴨池空港ターミナルビル

この記事内の現役時の鴨池空港の写真は、店内に展示されているものです。

在りし日の鴨池空港

格納庫

1969年(昭和44年)の鴨池空港

鹿児島県庁 – 【県政広報写真で見る「かごしま戦後70年」第11回】

鴨池空港の格納庫は、海軍航空基地時代からあったものです。

鴨池空港 航空機格納庫

鹿児島の”まち”を考える / 翼よ!あれが鴨池空港跡ごわす-かごんま今昔。

激しい空襲にもかかわらず、唯一生き残った幸運の格納庫でした。

在りし日の鴨池空港

鴨池空港時代には、小型機が格納されていました。

往年の鴨池空港

閉港後は、南国交通の車庫として使われてきましたが、2008年(平成20年)に解体されています。

ニシムタスカイマーケット屋上駐車場からみる鴨池空港跡
ニシムタスカイマーケット駐車場から見た鴨池空港跡

晩年はニュータウンの中に残された古臭い建物として、地域住民には不評だったようです。

往時の鴨池空港待合所

鹿児島海軍航空隊

鹿児島市鴨池公民館入口

鹿児島飛行場は、1938年(昭和13年)になると旧海軍機が利用するようになります。

貴様と俺の碑

軍民両用飛行場でしたが、1940年(昭和15年)に接収され、海軍鹿児島飛行場となっています。

鹿児島海軍航空隊 貴様と俺の碑

開戦直前には錦江湾を真珠湾に見立て、真珠湾攻撃の訓練が行われたというのは有名な話です。

貴様と俺の碑 裏面の碑文

1943年(昭和18年)鹿児島海軍航空隊が開隊、海軍航空兵力の増強を図るため予科練の練成がはじまりました。

赤心の碑

1945年(昭和20年)になると、実戦部隊が使用するため予科練の訓練は中止されています。

桜島と垂水フェリー

さらに、度重なる空襲で使用不能となっています。

鹿児島海軍航空基地 水上機滑走場跡

貴様と俺の碑

鹿児島海軍航空隊 慰霊 貴様と俺の碑 入口

鹿児島海軍航空基地にかかるご英霊、1,280人の慰霊碑です。

鹿児島海軍航空隊 慰霊「貴様と俺の碑」

石碑には、昇天している若い搭乗員のブロンズ像が埋め込まれています。

鹿児島海軍航空隊 慰霊「貴様と俺の碑」 説明碑

鹿児島海軍航空隊の碑

鴨池小学校 鹿児島海軍航空隊の碑

鹿児島海軍航空隊の有ったことを示す石碑で、鴨池小学校の敷地内にあります。

鹿児島海軍航空隊の碑

鴨池小学校はまさに予科練のあった場所であり、PTAと卒業生の方々が石碑を建てられています。

鹿児島海軍航空隊の碑

赤心の碑

鹿児島海軍航空基地 水上機滑走場跡

赤心(せきしん)の碑があるのは、海軍基地時代は水上機施設があったあたりです。

鴨池緑地公園 赤心の碑

鴨池空港の閉港後、埋め立てられて鴨池緑地公園になっています。

鹿児島海軍航空隊 赤心の碑

赤心というのは、少しの私心もない「真心」のことです。

鹿児島海軍校航空隊隊歌の碑

古関裕而(こせきゆうじ)さん作曲の、鹿児島海軍航空隊の隊歌の石碑とセットになっています。

鹿児島海軍航空隊赤心の碑の説明碑

沿革

鴨池空港 沿革の碑
1932年(昭和7年)鹿児島市営水陸両用飛行場として開場
1940年(昭和15年)海軍航空隊鹿児島基地として改修
1945年(昭和20年)空襲で使用不能となる
1953年(昭和28年)南日本航空によって滑走路再生
1957年(昭和32年)鹿児島空港(通称・鴨池空港)として開港
1966年(昭和41年)全日空機オーバーラン事故
1972年(昭和47年)鹿児島空港が溝辺町(現在の霧島市)に移転し廃港
1973年(昭和48年)鴨池ニュータウン開発開始
1996年(平成8年)県庁・県警本部が跡地へ移転
2008年(平成20年)格納庫(車庫)解体
2014年(平成26年)ターミナルビル解体

場所

鴨池空港ターミナルビル跡
貴様と俺の碑鹿児島県鹿児島市鴨池2丁目32
ニシムタ スカイマーケット鴨池店鹿児島県鹿児島市真砂本町51-1
鹿児島海軍航空隊基地跡の石碑鹿児島県鹿児島市真砂本町59
赤心の碑鹿児島県鹿児島市鴨池新町41-41

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