合戦峰(かしのみね)観音は、相良三十三観音霊場の12番札所です。
勝負ごとや競争ごとにご利益があると伝えられています。
観音堂に隣接する、おシャレなデザインの物産販売所とトイレも見どころです。
ご本尊
ご本尊は、聖観音立像です。
室町時代の作品と推定されています。
合戦峰という名前から、勝負ごとや競争ごとにご利益があるとされています。
受験生やスポーツ選手がお参りしています。
聖観音像は山江村指定の有形民俗文化財です。
お堂内の地蔵菩薩坐像2体、毘沙門天立像も室町時代のものと考えられています。
物産販売所とトイレ
1991年(平成17年)合戦峰観音堂は、隣接する県道が改良されたことから移転しています。
このあと、観音堂のとなりには駐車場と物産販売所とトイレが整備されています。
相良三十三観音霊場の中でも、最も目を引く併設施設です。
というのも、新国立競技場を手掛けて話題となった、隈研吾都市設計事務所が設計をしているからです。
巡礼の際は、おシャレですけど機能性も高いトイレを、ぜひご覧ください。
トイレに扉は、想像より重いと感じるはずです。
物産販売所は、毎週日曜日の朝9時から正午までの営業です。
力石
お堂の前には「力石」が置いてあります。
尾寄崎という集落からもってきたと書いてあります。
力試しの「力石」は、若い者が石を持ち上げ勝負をかけていた石です。
触ると勝負ごとに勝ち、健康でいられるといいます。
蓮乗寺
合戦峰観音堂は、1198年に矢瀬主馬之佑(やせしゅめのすけ)によって建てられ、蓮乗寺(れんじょうじ)に由来します。
矢瀬主馬之佑というのは、相良氏が人吉へ入る前の人吉領主です。
しかし、蓮乗寺は、江戸時代のはじめには廃寺となっています。
勝峰庵
蓮乗寺跡には、高寺院の末寺で、勝峰庵(しょうほうあん)というお寺ができました。
1677年ころ、相良三十三観音霊場の札所として選定されています。
この勝峰庵も、1867年(明治元年)には廃寺となっていて、合戦峰集落の管理地となります。
1937年(昭和12年)には 合戦峰公民館を併設していました。
1991年(平成17年)県道拡張のため移転し、現在に至っています。
山田伝助殉教の碑
お堂の登り口にあるのが、山田伝助さんのお墓です。
複数あるのは、伝助さんの初代、二代、三代のお墓があるからです。
山田伝助というのは、一向宗の熱心な信者で、僧侶のように布教活動をしていた人物です。
髪を伸ばしていたため、毛坊主とよばれていました。
しかし、相良藩は一向宗を固く禁じていました。
藩にとらえられた山田伝助さんは打首となります。
首をさらされたのがこの合戦峰でした。
山田伝助のいい伝え
ある日、伝助さんは村人の密告により、藩に捕えられ牢獄に入れられました。
覚悟を決めていた伝助さんは、全てを白状し断罪が下るのを待っていました。
そんな姿に心打たれた役人たちは「転宗」をすすめました。
伝助さんに「仏像仏具を全て焼却したならば命は助けてやる」と伝えました。
しかし伝助さんは、「念仏を断ち仏像を焼いたところで内心の信心を打ち消すことはできません。」
「それでは公儀を偽り、かえって不敬の極みでありましょう」
と答えたそうです。
結果打ち首となり、首は 合戦嶺で獄門台にさらされたました。
1782年のことでした。
伝助さんの弟子が、師匠の首が放置され腐敗し鳥獣の餌になることを嘆き、暗闇にまぎれて伝助さんの首を持ち帰ったといいます。
そして、自身の家の敷地内に埋葬しました。
埋める時に抜き取った歯1本が、伝助さんの墓に埋められたそうです。
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