加藤神社は、熊本市のシンボル・熊本城のなかにある神社です。

熊本藩初代藩主、加藤清正公をまつります。
熊本で最も参られる神社
加藤神社は、熊本県で最も初詣の人出が多い神社です。

もともとは、初詣の参拝者は藤崎八旛宮と2分していました。

加藤神社の参拝者は年々増えて続け、いまや 45万人にのぼるとされています。

初詣だけでなく、熊本に住む人にとって人生の節目に欠くことのできない神社です。

訪れた日も、七五三のお参りに多くの人が集まっていました。
人気の理由

なぜ、加藤神社が人気を集めるのか考えてみました。

上り坂を登る必要はありますが、繁華街から1.5kmです。

震災後再建されていく熊本城をながめることができます。

清正(きよまさ)公は「せいしょうこさん」と庶民に慕われたお殿さまでした。

観光客にとっては、熊本城とセットで訪れることができます。

加藤神社の鳥居の横に見えるのは宇都槽です。

深い空堀で遮られていますが、間近に見えます。

境内からは、熊本城天守閣を眺めることができます。

ただし、熊本城は 2020年現在、震災による復旧工事が行われていて、立ち入りできない部分があります。
ご祭神

主祭神
加藤清正公
1587年から1611 年の間、肥後国を治めた熊本城城主です。

それまでの肥後国には有力大名がおらず、複数の地頭が領地を分けて治めていました。

清正公は肥後国をまとめるとともに、得意の土木技術で治水工事やかんがい工事を行い、米の増産を図っています。

清正公は、築城の名手ともよばれています。

熊本城の大改修を行い、現在の姿としたのは清正公です。

江戸城や名古屋城の築城にも携わっています。

それまで「隈本」といっていたのを、「熊本」としたのは清正公といわれています。

肥後国発展の基礎を築いた、熊本にとっての大恩人とされています。
相殿神
大木兼松公
清正公とともに参戦した元寇で数々の武勲を挙げた、戦国武将です。

肥後国の蔵元奉行を務め、清正公の厚い信頼を得て、加藤家の財政管理まで行った側近です。
金官公
文禄の役の際に、清正公に捕らえられた韓人です。

文禄の役では敵地での道案内をしています。

清正公を慕って熊本へ同行し、帰化しています。
ご利益

清正公が勇猛果敢な戦国武将で、数々の武勲を挙げたことから、「勝負ごとの神さま」で有名です。

また、学業成就、商売繁盛、病気平癒にご利益があるとされています。
由緒
加藤神社の起源は、1611年に、清正公をまつった浄池廊(じょうちびょう)でした。

1871年(明治4年)、錦山神社(にしきやまじんじゃ)となります。

加藤神社となったのは、1909年(明治42年)のことです。
石垣の観音菩薩像
熊本地震の際、加藤神社も被災しています。

崩れて散乱した石垣の中に、観音菩薩像が彫られているのが偶然発見されています。

観音菩薩像は、約400年前の戦国時代に板碑として掘られたものです。

熊本城を改修する際に、石垣に転用したものと考えられています。
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