加藤神社は、熊本市のシンボル・熊本城のなかにある神社です。
![加藤神社 鳥居](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
熊本藩初代藩主、加藤清正公をまつります。
熊本で最も参られる神社
加藤神社は、熊本県で最も初詣の人出が多い神社です。
![加藤神社 入口の上り旗](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
もともとは、初詣の参拝者は藤崎八旛宮と2分していました。
![加藤神社 入口の上り旗](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
加藤神社の参拝者は年々増えて続け、いまや 45万人にのぼるとされています。
![加藤神社 入口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
初詣だけでなく、熊本に住む人にとって人生の節目に欠くことのできない神社です。
![加藤神社 駐車場](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
訪れた日も、七五三のお参りに多くの人が集まっていました。
人気の理由
![加藤神社 狛犬](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
なぜ、加藤神社が人気を集めるのか考えてみました。
![加藤神社 狛犬](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
上り坂を登る必要はありますが、繁華街から1.5kmです。
![加藤神社から見る熊本城天守閣](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
震災後再建されていく熊本城をながめることができます。
![加藤神社 手水舎](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
清正(きよまさ)公は「せいしょうこさん」と庶民に慕われたお殿さまでした。
![加藤神社と熊本城](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
観光客にとっては、熊本城とセットで訪れることができます。
![加藤神社からみた宇都櫓](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
加藤神社の鳥居の横に見えるのは宇都槽です。
![加藤神社からみる宇都櫓と空堀](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
深い空堀で遮られていますが、間近に見えます。
![加藤神社から見る熊本城天守閣](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
境内からは、熊本城天守閣を眺めることができます。
![加藤神社と熊本城](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ただし、熊本城は 2020年現在、震災による復旧工事が行われていて、立ち入りできない部分があります。
ご祭神
![加藤神社 ご神木](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
主祭神
加藤清正公
1587年から1611 年の間、肥後国を治めた熊本城城主です。
![加藤神社](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
それまでの肥後国には有力大名がおらず、複数の地頭が領地を分けて治めていました。
![加藤神社 社務所](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
清正公は肥後国をまとめるとともに、得意の土木技術で治水工事やかんがい工事を行い、米の増産を図っています。
![加藤神社 「名城 甦れ熊本城」
自動販売機](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
清正公は、築城の名手ともよばれています。
![ともに支える「令和の築城」
加藤神社のポスター](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
熊本城の大改修を行い、現在の姿としたのは清正公です。
![加藤神社 記念写真撮影所](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
江戸城や名古屋城の築城にも携わっています。
![加藤神社 社殿](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
それまで「隈本」といっていたのを、「熊本」としたのは清正公といわれています。
![加藤神社 社殿](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
肥後国発展の基礎を築いた、熊本にとっての大恩人とされています。
相殿神
大木兼松公
清正公とともに参戦した元寇で数々の武勲を挙げた、戦国武将です。
![加藤神社 祈願受付所](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
肥後国の蔵元奉行を務め、清正公の厚い信頼を得て、加藤家の財政管理まで行った側近です。
金官公
文禄の役の際に、清正公に捕らえられた韓人です。
![加藤神社 社務所](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
文禄の役では敵地での道案内をしています。
![加藤神社 社殿](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
清正公を慕って熊本へ同行し、帰化しています。
ご利益
![加藤神社 社殿](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
清正公が勇猛果敢な戦国武将で、数々の武勲を挙げたことから、「勝負ごとの神さま」で有名です。
![加藤神社 七五三](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
また、学業成就、商売繁盛、病気平癒にご利益があるとされています。
由緒
加藤神社の起源は、1611年に、清正公をまつった浄池廊(じょうちびょう)でした。
![加藤神社 清正公の旗立石](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1871年(明治4年)、錦山神社(にしきやまじんじゃ)となります。
![加藤神社 清正公の旗立石](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
加藤神社となったのは、1909年(明治42年)のことです。
石垣の観音菩薩像
熊本地震の際、加藤神社も被災しています。
![加藤神社 石垣の菩薩観音像](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
崩れて散乱した石垣の中に、観音菩薩像が彫られているのが偶然発見されています。
![加藤神社 石垣の菩薩観音像](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
観音菩薩像は、約400年前の戦国時代に板碑として掘られたものです。
![加藤神社 ご神木と鳥居](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
熊本城を改修する際に、石垣に転用したものと考えられています。
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