加藤神社

加藤神社 熊本の初詣人気ナンバーワンの熊本城が見守る神社


加藤神社は、熊本市のシンボル・熊本城のなかにある神社です。

加藤神社 鳥居

熊本藩初代藩主、加藤清正公をまつります。

熊本で最も参られる神社

加藤神社は、熊本県で最も初詣の人出が多い神社です。

加藤神社 入口の上り旗

もともとは、初詣の参拝者は藤崎八旛宮と2分していました。

加藤神社 入口の上り旗

加藤神社の参拝者は年々増えて続け、いまや 45万人にのぼるとされています。

加藤神社 入口

初詣だけでなく、熊本に住む人にとって人生の節目に欠くことのできない神社です。

加藤神社 駐車場

訪れた日も、七五三のお参りに多くの人が集まっていました。

人気の理由

加藤神社 狛犬

なぜ、加藤神社が人気を集めるのか考えてみました。

加藤神社 狛犬
熊本市の商業の中心地、通町筋から歩いて5分で行ける

上り坂を登る必要はありますが、繁華街から1.5kmです。

加藤神社から見る熊本城天守閣
熊本のシンボル熊本城の城内にある

震災後再建されていく熊本城をながめることができます。

加藤神社 手水舎
ご祭神、加藤清正公の功績と人徳が県民に認められている

清正(きよまさ)公は「せいしょうこさん」と庶民に慕われたお殿さまでした。

加藤神社と熊本城

観光客にとっては、熊本城とセットで訪れることができます。

加藤神社からみた宇都櫓

加藤神社の鳥居の横に見えるのは宇都槽です。

加藤神社からみる宇都櫓と空堀

深い空堀で遮られていますが、間近に見えます。

加藤神社から見る熊本城天守閣

境内からは、熊本城天守閣を眺めることができます。

加藤神社と熊本城

ただし、熊本城は 2020年現在、震災による復旧工事が行われていて、立ち入りできない部分があります。

ご祭神

加藤神社 ご神木

主祭神

加藤清正公

1587年から1611 年の間、肥後国を治めた熊本城城主です。

加藤神社

それまでの肥後国には有力大名がおらず、複数の地頭が領地を分けて治めていました。

加藤神社 社務所

清正公は肥後国をまとめるとともに、得意の土木技術で治水工事やかんがい工事を行い、米の増産を図っています。

加藤神社 「名城 甦れ熊本城」
自動販売機

清正公は、築城の名手ともよばれています。

ともに支える「令和の築城」
加藤神社のポスター

熊本城の大改修を行い、現在の姿としたのは清正公です。

加藤神社 記念写真撮影所

江戸城や名古屋城の築城にも携わっています。

加藤神社 社殿

それまで「隈本」といっていたのを、「熊本」としたのは清正公といわれています。

加藤神社 社殿

肥後国発展の基礎を築いた、熊本にとっての大恩人とされています。

相殿神

大木兼松公

清正公とともに参戦した元寇で数々の武勲を挙げた、戦国武将です。

加藤神社 祈願受付所

肥後国の蔵元奉行を務め、清正公の厚い信頼を得て、加藤家の財政管理まで行った側近です。

金官公

文禄の役の際に、清正公に捕らえられた韓人です。

加藤神社 社務所

文禄の役では敵地での道案内をしています。

加藤神社 社殿

清正公を慕って熊本へ同行し、帰化しています。

ご利益

加藤神社 社殿

清正公が勇猛果敢な戦国武将で、数々の武勲を挙げたことから、「勝負ごとの神さま」で有名です。

加藤神社 七五三

また、学業成就、商売繁盛、病気平癒にご利益があるとされています。

由緒

加藤神社の起源は、1611年に、清正公をまつった浄池廊(じょうちびょう)でした。

加藤神社 清正公の旗立石

1871年(明治4年)、錦山神社(にしきやまじんじゃ)となります。

加藤神社 清正公の旗立石

加藤神社となったのは、1909年(明治42年)のことです。

石垣の観音菩薩像

熊本地震の際、加藤神社も被災しています。

加藤神社 石垣の菩薩観音像

崩れて散乱した石垣の中に、観音菩薩像が彫られているのが偶然発見されています。

加藤神社 石垣の菩薩観音像

観音菩薩像は、約400年前の戦国時代に板碑として掘られたものです。

加藤神社 ご神木と鳥居

熊本城を改修する際に、石垣に転用したものと考えられています。

場所 熊本県熊本市中央区本丸 2-1

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