本庄剣柄(けんのつか)稲荷神社は、宮崎県東諸県郡国富町にある神社です。
一大古墳群がみつかっている、本庄台地に鎮座します。
剣柄古墳
国富町の中心部は本庄という台地に位置しています。
古墳時代には、この本庄台地のほとんどが古墳であったと考えられています。
実際に 57 基の古墳が見つかっていて、本庄古墳群という史跡に指定されています。
剣柄古墳は(けんのつかこふん)は、正式には本庄第38号古墳です。
本庄稲荷神社は、この剣柄古墳の上にあるため剣柄稲荷神社ともよばれます。
本庄第 38 号古墳が誰の墓なのかは、いくつもの説があります。
- 景行天皇のお妃である御刀姫(みはかしひめのみこと)の墓
- 神武天皇の兄である、彦稲飯命(ひこいなもちのみこと)の墓
- 日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲武(くまそたける)を刺した短刀を埋めた塚
- 景行天皇と御刀姫の子、豊国別皇子とその子孫の墓
3つ目の説を基に、通称「剣柄古墳」とよばれています。
日本武尊は、父の景行天皇から熊襲討伐の命令を受け、九州へ向かいました。
熊襲の宴会に女装して紛れ込み、すきを見て熊襲武を討ち取りました。
この時使った剣を埋めたのが、剣柄古墳といういい伝えです。
ご祭神
- 彦稲飯命(ひこいなもちのみこと)
- 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
- 神倭磐余彦命(かみやまといわれひこのみこと)
社殿
稲荷神社といえば、朱色の社殿をよく見かけます。
本庄剣柄稲荷神社の社殿も、朱色が映えています。
木鼻(きばな)は独特です。
木鼻というのは、社殿の柱の端部分に突き出ている装飾のことです。
龍なのですが、目がぱっちりしていて微笑んでいるように見えます。
扁額(へんがく)です。
社殿は小高い丘の上にありますが、この丘こそが剣柄古墳です。
古墳の下から見上げた、ご神木と本殿です。
由緒板です。
ご神木
イチイガシ
本庄剣柄稲荷神社には2本の大木があったのですが、イチイガシは1960年(昭和35年)の台風で倒れてしまいました。
2本のイチイガシは、宮崎県立本庄高等学校の、校章デザインのモデルとして現在も使われています。
旧本庄は、国富彦と称する命(みこと)の都で、昔より文化が盛んであった。
このような古今の本庄文化を知っているのが、本庄稲荷神社の境内にある石櫧(いちいがし)である。
この樹が本庄文化の代表のようにいわれることから、戦後の学制改革当時の男女共学の理念を表して、2枚の石櫧の葉で「高」の字を包み、陽に映える平和な文化の学園が学生諸士とともに、とこしえに続くようにという意味を図案化して作成されたものである。
(昭和23年 関谷文彦先生作)
宮崎県立本庄高等学校
稲荷のクスノキ
現在のご神木はクスノキです。
ご神木は、根元のコブやキンチャク(穴)から、「不老長寿の木」「幸運の木」とよばれています。
クスノキの根元には、こう書いてあります。
「千年のクスノキを支えている根っこで、たくましい男の人がうつ伏せをした形によくにているものがあります(坊主頭)。頭をなでて不老長寿を祈りましょう」
さんざん、角度を変えてながめてみました。
しかし、結局確信をもって「コレだ!」と思えるものをみつけられませんでした。
「キンチャク占い」のクスノキの穴はすぐわかります。
5円玉を投げて穴に入れば、金運・幸運に恵まれます。
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