郡浦(こおのうら)神社は、熊本県宇城市三角町にある神社です。
肥後国の三の宮です。
阿蘇四社の一角
宇土半島の西側は、今でこそ三角(みすみ)というのが当たり前になっています。
しかし、江戸時代までの中心地は、郡浦(こおのうら)です。
地名も、三角とよぶより郡浦という名称が一般的でした。
三角が中心地となったのは、西港の整備後です。
郡浦神社は、古くは蒲智比咩神社(かまちひめじんじゃ)とよばれていました。
昔も良港として重要で、海の神さまを社名として称したのでしょう。
郡浦神社は、阿蘇四社の一社に挙がっています。
阿蘇神社 | 阿蘇市 |
甲佐神社 | 甲佐町 |
健軍神社 | 熊本市 |
郡浦神社 | 宇城市 |
中世には郡浦は、熊本でも重要な地域として認識されていたことがわかります。
郡浦神社が、肥後国三の宮とも伝わるのもその裏付けです。
案内役の猫?
出迎えてくれたのは一匹の「ぬこ」さまです。
案内してくれるのかと思いきや、足元を離れようとしません。
逆に境内中を、ぬこさまを連れまわす羽目になりました。
しかし、「お参りするならワテクシを通せ」的な圧がハンパなく、無視できません。
郡浦神社の、現役のお神使いなのかもしれません。
ほぼピッタリついてくるのですが、帰るときはわきまえてます。
挨拶すると、駐車場まではついてきませんでした。
郡浦神社のイチョウ
幹から出る乳汁を煎じて飲めば、産後乳の出がよいと伝わります。
乳児を抱えるお母さんや妊婦さんが訪れています。
常福寺
常福寺というのは、郡浦神社の神宮寺です。
廃仏毀釈で、1868年(明治元年)に廃寺となりました。
現在残る遺物は、五重塔と五輪塔のみです。
平安朝初期の建造物と推定されています。
神風連の変
明治維新後、士族給与全廃や廃刀令を不満とする士族の反乱が相次ぎました。
熊本で起きた明治政府への反乱が、神風連の乱です。
わかりやすくいうと、西南戦争の肥後藩バージョンです。
熊本鎮台の襲撃は成功したのですが、政府軍の反撃で指導者を失います。
退却したのち、その多くが自刃してしまう結果となります。
郡浦神社には、大岳山の山頂で自刃した、神風連六烈士の碑が奉納されています。
「当時の郡浦神社神官が、警吏に捕えられ熊本臨時裁判にて禁獄百日の刑に科せられる」
とありますので、神風連と関係があったのでしょう。
ご祭神
ご祭神は4柱です。
蒲智比咩命(かまちひめのみこと)
海の女神で、速瓶玉命(はやみかたまのみこと)の妃神となります。
健磐龍命(たけいわたつのみこと)
阿蘇神社の主祭神です。
速瓶玉命(はやみかたまのみこと)
国造神社の主祭神です。
神武天皇(じんむてんのう)
日本の初代天皇です。
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