越野尾(こしのお)小学校は、かつて宮崎県児湯郡西米良村にあった、村立小学校です。
1963年(昭和38年)に一ツ瀬ダムの建設により、新築移転しています。
ダムにより住民が半減した越野尾地区
越野尾地区は、西米良村の東の玄関口です。
宮崎市や西都市から訪れる場合は、西米良村に入り最初の集落となります。
一ツ瀬ダムの水没集落ですが、他の水没集落と比較すると代替地への移転した方が多い地区でした。
それでも、ダム水没時には住人が半減したといいます。
現役の小学校?
旧東米良村との村堺となる、隧道(ずいどう)を抜けたところに越野尾小学校はありました。
バス停は「越野尾校前」のままです。
えっ! 横断用の黄色旗がそのままです。
もしかして、閉校してないのかもしれません。
移転前の校舎は、あのダム湖の下です。
門柱も残っています。
校庭の整備具合といい・・・
時計も合っています。
駐車場もきれいなままです。
校庭の先には住宅地があります。
小学校といっしょに、代替地へ移住した方たちかもしれません。
やっぱり、現役の小学校?と疑うほどきれいです。
校舎は少し古いですが、耐用範囲内です。
近くで見ると、塗装のはげ具合や、汚れ具合がわかります。
しかし、この程度の傷みなら、現役の学校でもざらにありそうです。
かべの崩落や、ガラスの割れたところはありません。
ガラス越しに、廊下をのぞかせてもらいました。
やっぱり、現役の小学校?なのでしょうか。
いやいや、小学校そのままです。
百周年記念碑の沿革で確認します。
やはり、2005年(平成17年)に、閉校と刻まれています。
越野尾小学校は、15年前のまま時が止まっていました。
いや、そんなはずはありません。
地域の方が、愛着を持って管理されているからこそ、当時の姿をそのまま残しているのだと感じました。
水没した旧校舎
校庭からは一ツ瀬ダム湖が見えます。
ダム湖に沈むふる里を想うと、発電所の恩恵は水没された方々の犠牲の上にあることを再認識させられます。
水没した旧越野尾小学校は、ダム湖の底なので通常期は見ることはできません。
しかし、ダム湖の水が減っているときは、地上に現れます。
小川川と一ツ瀬川の合流点にある、越野尾橋から見ることができます。
校門の門柱が見えます。
校舎の基礎部分もしっかり残っています。
沿革
1879年(明治12年) | 小川小学校越野尾分校として創立 |
1880年(明治13年) | 越野尾小学校として独立 |
1890年(明治23年) | 越野尾尋常小学校へ改称 |
1941年(昭和16年) | 越野尾国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 西米良村立越野尾小学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 西米良中学校越野尾分校を併設 |
1963年(昭和38年) | 一ツ瀬ダム建設に伴い新築移転 |
1965年(昭和40年) | 併設中学校分校を廃止し本校へ統合 |
1979年(昭和54年) | 創立100周年 |
2005年(平成17年) | 西米良小学校と統合、閉校 |
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