一ツ瀬小学校は、かつて宮崎県西都市大字中尾にあった公立小学校です。
沿革
1962年(昭和37年)、中尾小学校、中尾小学校猪原分校、八重小学校を統合して設立された小学校です。
1982年(昭和57年)に閉校となっています。
現役の小学校として使われたのは、20年間でした。
設立時は100名近くいた生徒が、閉校時は4名だったそうです。
一ツ瀬ダムの水没地も校区であったのでしょう。
水没地の方が見たら、気を悪くされるかもしれませんが、たった20年で100名も児童が減少するとは・・・ダムの水没地の苦悩がわかるような気がします。
校内
一ツ瀬小学校は、古仏所(こぶつくろ)という集落にあります。
西都市の緊急避難所となっているようです。
校門の石柱です。
校門を入るとまず、プールがあります。
校庭も荒れていないので、しっかり手入れはしてあるようです。
端までくると少し草が伸びています。
こっちから校舎へ上ってみます。
登り口はありますが、崩れていて危なそうです。
こちら側を上ります。
こちらが正規の通学路のようです。
校舎の裏側です。
ほとんどの学校は、北側に廊下があります。
骨格は軽量鉄鋼のようです。
表側へ回りました。斜面と校舎の間が思ったより狭いです。
斜面が崩落していたので、端まで行きませんでした。
閉校してから40年近く経ち、教室も傷んでいます。
集落に人が住んでいれば、校舎跡を転用して使います。
しかし、人がいなくなると、校舎跡を使う人もいなくなります。
この部屋だけは床も貼り替えてあり、使われている形跡があります。
一部屋あれば事足りるということでしょうか?
プール横の更衣室と倉庫は、扉を開けたままにしてありました。
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