球磨焼酎というのは、熊本県南部の人吉球磨地域で1500年代から造られている米焼酎のことです。
米焼酎の発祥は、球磨焼酎といわれています。
球磨焼酎とは?
最近は、球磨焼酎と名乗るためには3つの条件があります。
- 原料はコメ
- 人吉球磨の地下水で仕込む
- 人吉球磨で蒸留しビン詰めする
人吉球磨で造った焼酎だから、なんでもかんでも球磨焼酎と名乗れるわけではありません。
ヨーロッパでワインの伝承を守るためのルールとほぼ同じなのが、球磨焼酎と名乗るためのルールです。
球磨焼酎の蔵元
球磨焼酎には28の蔵元があります。
基本製法は同じでも、蔵元独自の創意工夫により、個性が生まれています。
各蔵元の個性を味合うのも、球磨焼酎の楽しみのひとつです。
蔵元名 | 代表銘柄 | 場所 | |
1 | 合資会社大石酒造場 | 【大石】 【鬼倒】 | 水上村 |
2 | 有限会社松下醸造場 | 【最古蔵】 【桜の里】 | 水上村 |
3 | 有限会社林酒造場 | 【極楽 常圧長期貯蔵】 【極楽 減圧】 | 湯前町 |
4 | 合名会社豊永酒造 | 【豊之蔵】 【華吟ハナギン】 | 湯前町 |
5 | 株式会社恒松酒造本店 | 【球磨拳】 【常圧 球磨拳】 | 多良木町 |
6 | 抜群酒造株式会社 | 【黒麹 抜群】 【熟告 抜群】 | 多良木町 |
7 | 合資会社宮元酒造場 | 【九代目】 【九代目 みやもと】 | 多良木町 |
8 | 房の露株式会社 | 【特選蔵八】 【吟醸 房の露】 | 多良木町 |
9 | 木下醸造場 | 【文蔵】 【茅葺】 | 多良木町 |
10 | 有限会社那須酒造場 | 【球磨の泉】 【原酒 球磨の泉】 | 多良木町 |
11 | 高橋酒造株式会社 多良木工場 | 【白岳】 | 多良木町 |
12 | 株式会社堤酒造 | 【奥球磨櫻】 【黒麹 時代蔵八】 | あさぎり町 |
13 | 松の泉酒造合資会社 | 【松の泉】 【もっこす】 | あさぎり町 |
14 | 合資会社松本酒造場 | 【萬緑】 【一連拓生】 | あさぎり町 |
15 | 合資会社高田酒造場 | 【秋ノ穂】 【五十四萬石 旬】 | あさぎり町 |
16 | 合資会社宮原酒造場 | 【宮原】 【宮の誉】 | あさぎり町 |
17 | 常楽酒造株式会社 | 【秋の露(樽)】 【秋の露(純米)】 | 錦町 |
18 | 六調子酒造株式会社 | 【特吟 六調子】 【圓】 | 錦町 |
19 | 株式会社鳥飼酒造 | 【吟香 鳥飼】 | 人吉市 |
20 | 合同会社渕田酒造場 | 【銀の露】 | 人吉市 |
21 | 繊月酒造株式会社 | 【繊月】 【川辺】 | 人吉市 |
22 | 球磨焼酎株式会社 | 【球磨焼酎】 【米倶楽部】 | 人吉市 |
23 | 合資会社寿福酒造場 | 【武者返し25゜】 | 人吉市 |
24 | 合資会社福田酒造商店 | 【山河さんが】 【樽神輿たるみこし】 | 人吉市 |
25 | 深野酒造株式会社 | 【彩葉】 【誉の露】 | 人吉市 |
26 | 高橋酒造株式会社 人吉本社工場 | 【白岳しろ】 | 人吉市 |
27 | 合資会社大和一酒造元 | 【温泉焼酎夢】 【黄吟 大和一】 | 人吉市 |
28 | 有限会社渕田酒造本店 | 【一勝地】 【園乃泉】 | 球磨村 |
球磨焼酎の歴史
江戸時代には、米は大変貴重な資材でした。
農家は年貢といって、現代でいう税金を米で払っていました。
藩としても米は重要物資だったのですが、領主の相良氏はその重要な米で焼酎を造ることを許可していました。
日本遺産人吉球磨では、相良氏が庶民の文化を認めたため、焼酎造りが許可され、庶民まで焼酎を楽しんでいたみたいなストーリーになっています。
諸説ありますが、球磨焼酎は藩の収入源となるため、製造を許可したとも考えられます。
そして、表向きは焼酎を普段から飲んでいたのは武士だけで、庶民が飲んでいた焼酎は、年貢として納めなかった米でこっそり造ったものだったと伝わります。
近代から現代
焼酎が庶民のお酒として、普段から飲めるようになったのは明治時代になってからです。
消費量が増えるにつれ、焼酎造りも盛んになりました。
昭和時代になると、くせがなく口当たりの良い焼酎が造られはじめ、全国に出荷されるようになりました。
伝統は守りつつ、時代の嗜好や近代的な製法を取入れながら進化しています。
焼酎文化
「ガラ」と「チョク」というのは、球磨焼酎を飲むときに使う、酒器のことです。
人吉球磨地方だけで使われてきた、独特のものです。
焼酎は一昔前までは、原酒で流通していました。
アルコール度数は45度くらいあったといわれています。
原酒を水で割って、35度くらいになったものを、「ガラ」に入れて、直燗(じきかん・じかの火をかけること)で飲むのが主流でした。
これを「チョク」に入れてチビリチビリと飲んでいました。
「ガラ」というのはフラスコの胴体に、長い注ぎ口をつけたような形をしています。
ちょうど3合入るようになっています。
昔はは焼酎は枡(ます)で量り売りをしていて、2号5酌を1盃といっていました。
「ガラ」に焼酎一盃と水を入れても、余裕があるくらいの容積があります。
「ガラ」をこのまま五徳にかけて、焼酎を温めていました。
小さな杯が「チョク」です。
なめるように飲んでいた風習から、「チョク」は小型のものになったという説があります。
「チョク」が小さかったため、熱燗にした焼酎のにおいが、鼻にツンとこずに具合がよかったようです。
現代の焼酎
現在の球磨焼酎は、アルコール度数25度で流通しているものが主流です。
飲み方も、お湯割りや水割りそしてオンザロックが主流となりました。
今でも、飲食店では「ガラ」と「チョク」で焼酎を提供しているところもあります。
しかし、一般家庭で「ガラ」と「チョク」を使用する機会は、減ってきています。
まとめ
球磨焼酎は相良氏により製造が許可され、球磨盆地という特殊な条件下にあったため、500年もの間、造られ続けてきました。
伝統を守りながらも、時代に合わせ変化してきた球磨焼酎は、日本遺産人吉球磨のストーリーとも共通します。
球磨焼酎は、日本遺産人吉球磨の構成文化財32番となっています。