くまモンポート八代は、熊本県八代市にあるクルーズ船専用港です。
名前どおりに、寄港する大型クルーズ船をたくさんのくまモンが出迎えます。
旅客ターミナル
くまもんポート八代は、主に中国からのクルーズ船が寄港する想定で整備されたものです。
旅客ターミナルの先は、クルーズ船専用岸壁です。
クルーズ船が入港すると、旅客ターミナルは外国人であふれかえるはずです。
何せ、クルーズ船には5000人もの人が乗っています。
クルーズ船が寄港したさいには、駐車場に100台もの大型バスが集結します。
アートウォール
熊本県内の学生さんが描いた壁画です。
テーマは「夢と希望」です。
並ぶくまモン
くまもんパーク入口に並ぶくまモンです。
一直線にならんでいます。
十二支くまモン
干支のタスキをかけたくまモンが、円形にならんでいます。
全干支がそろいますが、くま年はないのです。
日本庭園
神社をはじめとした、文字通り日本庭園です。
入口には道の真ん中をふさぐ、大きめのくまモンがいますが、かまわず進めます。
ターゲットは外国人なので、日本庭園で出迎えます。
港というと西洋風が多いので、日本庭園というのは日本人にとっても斬新です。
竹林の道
竹林の道には、ところどころにくまモンが潜んでいます。
「どんだけいるんだ?くまモン!!」
ビッグくまモン
ビッグくまモンは、全長6メートルもある、大きなくまモンです。
驚いたような表情なので、かえって写真を見るまでは、「ビックリくまもん」と思い込んでいました。
大きいので普段とは違う視点で、くまモンを見ることができます。
くまモン合唱隊
なんと54人(匹?)ものくまモンが並んでいます。
よく見ると、違う表情のポケモンが混じっています。
歌詞を間違っているのかもしれません。
合唱隊に参加してみました。
販売エリア
くまモンポート八代はプレオープン中です。
クルーズ船も入港予定は未定なので、今日は1店舗しか営業していません。
クルーズ船が来るときは一斉に開けるのでしょう。
販売エリアにもくまモンが潜んでいます。
八代港とは?
八代港は球磨川の河口にあり、古い時代から球磨川上流からの物資の荷揚げ港でした。
さらに、農林海産物を全国へ積み出す港として発展してきました。
以前からの港は、球磨川を少しさかのぼった市の中心部に近い場所でした。
八代平野は、遠浅な干潟で江戸時代から干拓がすすんでいます。
海岸線もどんどん沖の方に移っていきました。
明治時代に入ると、八代市にはセメント工場や製紙工場ができ、八代港の重要性がさらに増します。
近代化した港は、八代内港に整備されました。
八代港港湾振興協会
さらに大型船が入港できる港として八代外港が整備されたのは、1960年代以降です。
八代内港に加え、八代外港の整備が進んだことで、八代港は熊本県南部の物流の一大拠点となりました。
くまモンポート八代は、国際クルーズ拠点として八代外港に整備されたものです。
定期旅客航路が消滅
八代港は何も貨物に特化した港ではありません。
戦前には、天草各港と結ぶ定期旅客航路が多数あり、たくさんの人を運んでいました。
1970年代から90年代には、大小の海運会社がフェリーを就航させます。
1996年(平成8年)には、年間7万人がフェリーを利用し、旅客港としても県南の拠点でした。
しかし、2000年代に入りフェリーの利用者は減少に転じます。
八代・熊本~天草間の移動手段が多様化し、乗客が分散してしまったためです。
1975年(昭和50年) | 天草五橋の無料化 |
1993年(平成5年) | 熊本港の開港 |
2000年(平成12年) | 天草空港の開港 |
2004年(平成16年) | 九州新幹線開業 |
また、天草地区の教育医療設備が整備され、通学や通院でフェリーを利用する人が減少しました。
さらに、燃料価格高騰が直撃し、各社とも八代港発着の航路から撤退していきます。
2013年(平成25年)には、すべての定期旅客航路が運行を休止しました。
くまモンポート八代は、旅客港として復権を狙う八代港の中核です。
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