隈庄飛行場 弾薬庫

隈庄飛行場 四式爆撃機「飛龍」で編成された陸軍飛行第110戦隊基地

隈庄(くまのしょう)飛行場というのは、熊本県杉上村(現在の熊本市南区)にあった、旧日本陸軍の飛行場です。

隈庄飛行場 弾薬庫

またの名を隈之庄飛行場、舞の原飛行場ともよばれていました。

概略

隈庄飛行場跡

1941年(昭和16年)に完成した隈庄飛行場には、大刀洗陸軍飛行学校隈庄分教場が開設されました。

隈庄飛行場跡

以来4年間にわたり、約1,000名の隊員が巣立っています。

隈庄飛行場跡の碑

1945年(昭和20年)になり、最前線が本土に近づくと、教育隊は解隊します。

四式爆撃機 飛龍

浜松から移された飛行第110 戦隊の基地として、隈庄飛行場を明け渡しています。

四式爆撃機 飛龍

第110戦隊は、最新鋭の四式重爆撃機「飛龍」で編成され、連日沖縄に出撃していました。

隈庄飛行場跡の碑

俳優の三船敏郎さん (1920~1997)が、終戦を迎えた基地としても知られています。

隈庄飛行場跡の碑

米軍の空襲

隈庄飛行場 説明碑 説明板のひび割れは熊本地震で倒れた時のものです。
説明板のひび割れは熊本地震で倒れた時のものです。

隈庄飛行場は、戦局の悪化にともない米軍の空襲を受けています。

隈庄飛行場 説明碑

空襲は周辺集落にもおよび、民家 95戸と小学校3校が被災し、5名が亡くなっています。

城南総合スポーツセンター 入口

当時の小学校は、疎開工場となっており、たくさんの人が働いていました。

城南総合スポーツセンター

終戦後は農地として開放され、現在は工場や住宅団地、 公共施設が立ち並んでいます。

隈庄飛行場 弾薬庫

戦争遺構

隈庄飛行場 弾薬庫

隈庄飛行場に残る戦争遺構は、ほぼなくなっています。

隈庄飛行場 弾薬庫

ついこの間までは、航空機用燃料を保管しておく油槽庫があったのですが、 熊本地震により被災し、2017年(平成29年)に解体されています。

隈庄飛行場 弾薬庫

隈庄飛行場時代から残る戦争遺構は、弾薬庫だけになっています。

隈庄飛行場 弾薬庫入口

ただひとつ隈庄飛行場があったことを、生で伝える遺構です。

火の君総合センター

火の君総合センターの入り口には、隈庄飛行場の記念碑が建てられています。

火の君総合センター 駐車場

記念碑は当時のものではなく、1997年(平成9年)に建てられたものです。

隈庄飛行場 碧空に祈る

碑には「碧空に祈る」 と書かれています。

隈庄飛行場跡

場所 熊本市南区城南町舞原 394-1

隈庄飛行場 弾薬庫裏側

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