串間神社

串間神社 海幸山幸の山彦幸をまつる神社

串間神社は、宮崎県串間市にある神社です。

串間神社 社殿

主祭神は、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)となります。

山彦幸

主祭神の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、海幸山幸の神話で、山彦幸のモデルとされる神さまです。

串間神社 一の鳥居

海幸山幸は、昔話の浦島太郎のもとになった神話です。

串間神社 二の鳥居

神話の中の山彦幸は、山の猟が得意でした。

串間神社 案内板

串間神社あたりはイノシシやキジなどがいて、狩りをするのによい場所でした。

串間神社 二の鳥居

山幸彦は狩りをするために「穂槵宮(ほぐしのみや)」という仮宮所を設けました。

串間神社 東側参道鳥居

串間神社は、この「穂槵宮(ほぐしのみや)」の跡と伝わっています。

串間神社 東側(駐車場)の案内板

一方、兄の海彦幸のモデルは、古事記でいう火照命(ほでりのみこと)、日本書紀なら火酢芹命(ほすのせりのみこと)です。

串間神社 石標

得意技は釣りです。

十三所大明神

串間神社は、相殿に12柱をまつります。

  1. 女躰大明神(豊玉姫神)
  2. 神花大明神
  3. 初熊大明神
  4. 泊柱大明神(猿田彦命、速秋都姫命)
  5. 勿躰大明神
  6. 聖大明神(点香兒山命)
  7. 児之御前
  8. 歳大明神(倉稲魂命)
  9. 篠大明神
  10. 上津杖大明神
  11. 下津杖大明神
  12. 杖立大明神

串間神社は1872年(明治5年)までは、十三所大明神とよばれていました。

串間神社 社殿裏の祠

13柱の神さまをまっていることがわかります。

串間神社 社殿裏の祠

社殿裏にはそれぞれの神さまの祠があります。

串間神社 社殿裏の祠

しかし、祠は11体しかありません。

串間神社 社殿裏の祠

彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫神(とよたまひめのみこと)の祠は、勿体森(もったいもり)というところにまつられています。

串間神社 東側入り口の石灯籠

勿体森(もったいもり)こそ、山彦幸が狩りをしていた場所です。

串間神社 宮崎県の資料

現在は切り拓かれて、串間中学校のある場所になっています。

ご利益

農業の神・安産の神・学問の神・商工の神として信仰が篤いとされています。

串間神社 説明板

ご祭神をみるとほかにも様々なご利益ありそうです。

境内

串間神社 社殿

社殿は1988年(昭和63年)に、串間市の市制35年記念事業として建てられています。

串間神社 社殿

串間市あたりは、江戸時代は飫肥藩でも薩摩藩でもなく、高鍋藩でした。

串間神社 社殿

高鍋藩とは地続きではなく、飛地になります。

串間神社 社殿

串間神社は、領主は変わっても代々大切にされています。

串間神社 社殿

明治維新後は、福島、北方、大束、本城、都井、市木、六ヶ町村の氏神とされ崇拝されています。

串間神社 境内

現在は、串間市を代表する神社となります。

串間神社 手水舎

手水舎です。

串間神社 手水の水道

このままでは水が出せません。

串間神社 水道のカギ

上にある「水道のカギ」で蛇口を回す方式です。

串間神社 手水舎よこの石碑

手水横の石碑は歴史がありそうです。

串間神社 手水舎横の石碑

読んでみましたが、意味がさっぱりわかりませんでした。

串間神社 南西隅の祠

境内の南西隅にある祠です。

串間神社 南西隅の祠の瓦

摂社でしょうか、これは以前は社殿があったに違いありません。

串間神社 宝物殿

宝物殿です。

串間神社 神楽面と古額の説明板

神楽面と古額を収蔵してあるのかと思いましたが、それらは文化会館の資料室にあると書いてあります。

串間神社 社務所とトイレ

社務所とトイレです。

串間神社 昔の手水石

とても綺麗でありながら歴史も感じられ、遠くまで来た甲斐がありました。

場所 宮崎県串間市串間1410

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