若き薩摩の群像

鹿児島市の偉人ゆかりの地 その3 ナポリ通り~鹿児島中央駅編

鹿児島市では、日本を近代化に導いた英雄ゆかりの地を大切にし、史跡として石碑を建てています。

ナポリ通り

鹿児島中央駅を起点に、甲突川左岸を下流へ下りましたので、今回はふたたび中央駅に戻ります。

ナポリ通り

ナポリ通り

甲突橋からまっすぐ、鹿児島中央駅へ向かうのが、ナポリ通りです。

ナポリ通りの説明板

イタリアのナポリ市にちなんだ名前です。

ナポリ市街とベスビオ山
ナポリ市街とベスビオ山

ナポリにはベスビオ火山とナポリ湾があり、鹿児島市と風景がそっくりなのだそうです。

ナポリ市街とベスビオ山
ナポリ市街とベスビオ山

鹿児島市を「東洋のナポリ」とよんだのも、この景色からです。

甲突川と鹿児島市街

そのため、昭和時代中頃から交流が始まり、1960年(昭和35年)には姉妹都市となっています。

人口面する湾近くの火山
鹿児島市約60万人錦江湾桜島(1,277m)
ナポリ市約96万人ナポリ湾ベスビオ山(1,117m)
ナポリ通りの歩道

関勇助誕生之地

関勇助誕生之地碑

関勇助(せきゆうすけ)は、島津斉彬の側近でフランス式騎兵隊の隊長です。

関勇助誕生之地碑

郷校の設立にあたり、西郷隆盛や大久保利通などに学問を教えています。

関勇助誕生之地碑の説明板

大久保利通誕生地

大久保利通誕生地

大久保利通(おおくぼとしみち・1830~1878)は、ご存じ明治初期の政治家です。

大久保利通誕生地

西郷隆盛、木戸孝充とならび維新の三傑と称されています。

大久保利通誕生地

朝鮮使節問題で西郷隆盛が鹿児島へ帰ってからも、政府内で活躍することになります。

大久保利通誕生地の説明板

井上良馨誕生地

井上良馨誕生地

井上良馨(いのうえよしか・1845~1929) は、海軍軍人です。

井上良馨誕生地

薩英戦争でイギリス船の破壊力を目の当たりにし、陸軍より海軍へ転身。

井上良馨誕生地 銘碑

戊辰戦争、日露戦争での功績から元帥となっています。

井上良馨誕生地の説明板

高島鞍之助誕生地

高島鞍之助誕生地

高島鞍之助(たかしまとものすけ・1844~1916)は、陸軍軍人から政治家になった人物です。

追手門小学校跡の碑

追手門小学校(現在の大阪偕行社付属小学校)の設立者です。

高島鞍之助誕生地の説明板

三島通庸誕生地

三島通庸誕生地

三島通庸(みしまみちつね・1835~1888) は、薩摩藩士ですが、明治維新後上京しています。

三島通庸誕生地

東京府(現在の東京都)や県令(各県の行政の長)を歴任した官僚です。

三島通庸誕生地跡のマンション

多くの土木工事を進めていることから、土木県令や鬼県令とよばれています。

鹿児島市営バス

西郷南洲翁宅地跡

西郷南洲翁宅地跡

西郷南洲翁というのは、いわずと知れた西郷隆盛の通称です。

西郷南洲翁宅地跡

もともと住んでいた鍛冶屋町の家を売った後、中央町に住んでいた当時の跡地です。

西郷南洲翁宅地跡の説明文

若き薩摩の群像

鹿児島中央駅

薩英戦争で欧州の戦力を目の当たりにした薩摩藩は、優秀な青年をイギリスに留学させています。

若き薩摩の群像

彼らの留学経験は、のちの日本の近代化に活かされることになります。

若き薩摩の群像
新納久脩(大目付・32歳)使節団長町田久成(大目付、薩摩藩開成所掛(学頭)・27歳)
寺島宗則(32歳)五代友厚(29歳)
堀孝之(通訳・19歳)畠山義成(当番頭・22歳)
名越時成(当番頭・17歳)村橋久成(御小姓組番頭・22歳)
朝倉盛明(開成所句読師・21歳)医師鮫島尚信(開成所訓導師・20歳)
松村淳蔵(開成所第一等諸生・23歳)森有礼(開成所第二等諸生・17歳)
高見弥一(開成所第三等諸生・21歳)東郷愛之進(開成所第三等諸生・23歳)
吉田清成(開成所第三等諸生・20歳)長沢鼎(開成所第三等諸生・13歳)
町田申四郎(開成所諸生・17歳)町田清蔵(開成所諸生・14歳)
中村博愛(長崎遊学生・22歳)合計19人
薩摩藩遣英使節団
若き薩摩の群像の説明板

床次竹二郎像

床次竹二郎像

床次竹二郎(とこなみたけじろう・1967~1935)は、鹿児島県選出の衆議院議員です。

床次竹二郎像

官僚から政界入りし、閣僚を歴任しています。

床次竹二郎像

のちに、鉄道省になる直前の内閣鉄道院総裁となっています。

床次竹二郎像

小里貞利像

小里貞利像

西口にあるのは、ミスター新幹線・小里貞利(おざとただとし・1930~2016)の像です。

小里貞利像

鹿児島県選出の衆議院議員で、一貫して九州新幹線の整備に携わった方です。

小里貞利像

その偉業を称えて駅構内に銅像が設置されています。

小里貞利像の説明板

西口広場モニュメント

鹿児島中央駅西口

鹿児島中央駅の西口は、ビックカメラの方向の出口です。

鹿児島中央駅西口モニュメント

鹿児島の伝統工芸・薩摩切子を使った8mのタワー型モニュメントが目印です。

鹿児島中央駅西口モニュメント

ここからさらに西へ進み、西郷公園まで行ってみました。

鹿児島中央駅西口モニュメント

西郷屋敷跡

西郷屋敷跡の石碑

西郷隆盛は、自らの朝鮮使節派遣を主張しますが、政府に認められませんでした。

南洲翁使用の井戸

1873年(明治6年)政変で、すべての官職の辞表を出し鹿児島へ帰っています。

南洲翁使用の井戸の説明板

それから西南戦争までの4年間を過ごした屋敷跡です。

西郷屋敷跡 南洲翁と臥牛翁 徳の交わり

庄内藩(現在の山形県)の菅実秀(臥牛翁)とは、戊辰戦争で戦った敵同士でした。

西郷屋敷跡 南洲翁と臥牛翁 徳の交わり

しかし敗戦後の寛大な処分から、西郷隆盛の人徳に感服し、2人はこの屋敷で会っています。

西郷屋敷跡 南洲翁と臥牛翁 徳の交わり 説明板

まとめ

西郷屋敷跡の井戸
西郷屋敷跡の井戸

偉人の史跡をたどり、甲突橋からナポリ通りを進み中央駅の西口までみてきました。

西郷屋敷跡の石碑
西郷屋敷跡の石碑

実のところ、個人的には明治維新にあまり興味があるわけではありませんでした。

西郷屋敷跡の西郷公園
西郷屋敷跡の西郷公園

しかし、史跡めぐりをするうちに、すっかり明治維新ファンになっていました。

西郷屋敷跡の裏門
西郷屋敷跡の裏門

今回訪れた史跡はほんの一部です。

鹿児島中央駅西口バス停
鹿児島中央駅西口バス停

近い将来、また鹿児島市の史跡を訪れたいと思います。

鹿児島中央駅 みやげ横丁
鹿児島中央駅 みやげ横丁

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