大久保利通像

鹿児島市の偉人ゆかりの地 その1 甲突川歴史ロード維新ふるさとの道編

薩摩藩が明治維新の原動力となったのは周知の通りです。

鹿児島市 維新ふるさと館

甲突川歴史ロードは、日本を動かした薩摩藩士のゆかりの地です。

鹿児島中央駅

鹿児島中央駅 新幹線のりば改札口

鹿児島中央駅は、南九州最大都市・東児島市にふさわしい都会的な駅です。

鹿児島中央駅 在来線のりば改札口

かつての西鹿児島駅で、2004年(平成16年)九州新幹線の開業にともない鹿児島中央駅となっています。

鹿児島中央駅 東口広場

明治維新前後の偉人がすごしたのは、鹿児島中央駅の東側に集中しています。

鹿児島中央駅 観覧車

まずは、鹿児島中央駅東口を起点にして、甲突川を沿いを下流方向へ進み順番にみてみました。

鹿児島中央駅

なお、登場するのはすべて大先生なのですが、記事中の敬称は読みやすいようにするため省略しています。

高見橋

母と子供の群像

母と子供の群像 母の像

母と子供の群像というのは、高見橋の上にある銅像です。

母と子供の群像 子供の像

甲突川の上流側には子供の像、下流側には母の像が設置されています。

母と子供の群像 母の像

強さと厳しさを秘めながら優しく、子供たちを見守る母の姿を表現しています。

母と子供の群像 子供の像

明治維新を支えた子供たちを、橋の向かい側から見守る母といったところでしょうか。

母と子供の群像 タイトルの銘板

大久保利通像

大久保利通像

維新ふるさとの道の入口には、大久保利通の像が建ちます。

大久保利通像

大久保利通はいまさら説明することもない、明治維新の中心人物です。

大久保利通像

雄藩(薩摩・長州・土佐・肥前)を中心とした倒幕から、近代化改革を進めることになります。

大久保利通像

背景には欧米に対抗するには、幕府体制では不可能という考えがありました。

大久保利通像

現に倒幕後の明治政府は、政治、身分、経済、教育、文化、思想など全面的な大改革に取組んでいます。

高見橋から見た鹿児島中央駅

維新ふるさとの道

維新ふるさとの道 入口

高見橋から高麗橋まで、甲突川の左岸は維新ふるさとの道となっています。

維新ふるさとの道 入口

鍛冶屋町を中心に、甲突川沿岸は明治初期に日本を動かした偉人たちが生まれ育った地になります。

維新ふるさとの道 門柱

これは偶然ではなく、独自の郷中教育によるものといわれています。

維新ふるさとの道

薩摩藩は薩英戦争で産業革命の必要性を体感し、時代を先読みしていたのです。

甲突川を泳ぐコイ

円形広場

維新ふるさとの道 円形広場

円形広場は、円形の世界地図になっています。

維新ふるさとの道 円形広場の案内板

幕末から明治初期のヨーロッパ関係イベントの、航路が記されています。

維新ふるさとの道 円形広場 航路図の凡例

まだ飛行機などなかった時代、海外へは船で行くしかありませんでした。

維新ふるさとの道 円形広場 航路図

ヨーロッパからの外圧も日本からの渡欧も、近代化に必要なプロセスでした。

維新ふるさとの道 円形広場 航路図

荻原小路の石碑

萩原小路(はっぐわんしゅ)の石碑

小路は鹿児島弁で「しゅ」とか「すっ」と読みます。

萩原小路(はっぐわんしゅ)の石碑

萩原小路(はっぐわんしゅ)というのは、萩原家があった小路です。

萩原小路(はっぐわんしゅ)の説明板

このあたりの小路には、それぞれ固有の名前が付けられていました。

萩原小路(はっぐわんしゅ)の石碑

戦災復興記念碑

鹿児島市 戦災復興記念碑

鹿児島市は、1945年(昭和 20 年)の度重なる空襲で、市街の9割以上が焼失しています。

鹿児島市 戦災復興記念碑

戦災復興記念碑は、戦災からの復興を記念して建てられたモニュメントです。

鹿児島市 戦災復興記念碑

下が赤いのは戦火、上に伸びる突起が復興を表しています。

鹿児島市 戦災復興記念碑の説明碑

二松学舎跡碑

維新ふるさとの道 二松学舎跡の碑

二松学舎というのは、明治時代になってから郷中教育を継ぐために開設されました。

維新ふるさとの道 二松学舎跡の碑

東京の二松学舎大学とは別物となります。

維新ふるさとの道にいたハト

二本松馬場の銘碑

二本松馬場の銘碑

二本松馬場(にほんまつばあ)というのは、この先に続く通りのことです。

二本松馬場の銘碑

以前はここから武大明神(現在の建部神社)の二本松がよく見えたことが名前の由来です。

二本松馬場の地図

円形階段デッキ

維新ふるさとの道 円形階段デッキ

円形階段デッキは、日本の第1回帝国議会が開催された、仮議事堂をイメージして作られています。

第1回帝国議会が開催された仮議事堂

大日本帝国憲法発布後初の議会で、当時の総理大臣は鹿児島県出身の黒田清隆でした。

維新ふるさとの道 円形階段デッキの説明板

猫の薬師小路の銘碑

猫の薬師小路(ねこんくそしゅっ)の銘碑

猫の薬師小路(ねこんくそしゅっ)は、昔ここに猫の薬師と呼ばれる獣医さんが住んでいたことから名付けられています。

猫の薬師小路(ねこんくそしゅっ)の銘碑

大久保利通生い立ちの地

大久保利通生い立ちの地 入口

大久保利通が、少年時代を過ごした地です。

大久保利通生い立ちの地 石碑

西郷隆盛は3つ年上で、同じ郷中になります。

大久保利通生い立ちの地 石碑

薩摩藩時代から明治初めまでは、ともに日本の近代化に尽力した盟友です。

大久保利通生い立ちの地

しかしのちの西南戦争では、相対する敵同士となります。

大久保利通生い立ちの地

維新ふるさと館

維新ふるさと館

幕末から明治維新のことを、もっと詳しく知りたいなら「維新ふるさと館」を訪れてみるべきです。

維新ふるさと館 玄関

わずかの入館料で多彩な展示資料を見ることができます。

開館時間9:00~17:00
最終入館 16:30
休館日年中無休
入館料大人 300円
子供 150円
ホームページ【公式】維新ふるさと館
維新ふるさと館

南洲橋

南洲橋

南洲というのは、西郷隆盛の通称です。

南洲橋

南洲橋というのは、甲突川に架かる歩行者専用の橋です。

鹿児島市観光交流センター

維新ふるさと館と、対岸の鹿児島市観光交流センターを結びます。

甲突川

甲突川沿いを散歩する人も利用します。

南洲橋と維新ふるさと館

二つ家

維新ふるさとの道 二つ家

二つ家は薩摩の伝統的住居です。

維新ふるさとの道 二つ家の間取り図

座敷のある「おもて」と、台所など日常生活のための「なかえ」が、といの間でつながりひと棟となります。

維新ふるさとの道 二つ家

屋根は二つでありながら部屋はひと続きになっているのが特徴です。

維新ふるさとの道 二つ家の内部

堀井鶴畔書碑

維新ふるさとの道 堀井鶴畔書碑

堀井鶴畔(ほりいかくはん・1897~1975)は、鹿児島大学教育学部に在籍した大書道家です。

維新ふるさとの道 堀井鶴畔書碑の説明板

碑文は先生お気に入りの詩です。

碧水忽開新鏡面 青山都是好屏風

前に甲突川が開け、後ろには城山が屏風の様に立っている鹿児島市の風景がイメージできる詩なのだそうです。

甲突川越しに見る桜島

日新公いろは歌

維新ふるさとの道 日新公いろは歌の碑

日新公いろは歌というのは、島津家中興の祖といわれる、島津忠良(日新斉)が、完成させた47首の歌です。

維新ふるさとの道 日新公いろは歌の碑

薩摩藩の郷中教育の基本の精神で、薩摩武士の士道教育の教典となっています。

昔の賢者の立派な教えや学問も口に唱えるだけでは、役に立たない。
実践、実行することがもっとも大事である。
立派な御殿に住んでいようと、粗末な小屋に住んでいようとも、
それで人間の価値は判断できない。心のあり方によってこそ真価が決まる。
明日のことは誰もわからない。勉学修行を明日に引き延ばし、
もし明日自分が死んだらどうするのか。今この時を大切にすべきだ。
維新ふるさとの道 日新公いろは歌の碑

木島冷明歌碑

維新ふるさとの道 木島冷明歌碑

木島冷明 (きじまれいめい・1887~1972)は、歌人です。

維新ふるさとの道 木島冷明歌碑(裏面)

碑文によると、「山茶花」創刊40周年を記念して建てられています。

朝東風に緋の大傘のたわむなり 祇園会はるる鹿児島の夏 (冷明)

八坂神社の祇園祭(おぎおんさあ)のことを詠んであります。

維新ふるさとの道 木島冷明歌碑

西郷隆盛生誕地

西郷隆盛生誕地

文字通り、西郷隆盛の生家です。

西郷隆盛生誕地 石碑

西郷隆盛と弟・従道が青年時代までを過ごした場所となります。

西郷隆盛生誕地

西郷従道邸庭園跡庭石

西郷従道生誕地 石碑

西郷従道(さいごうじゅうどう・1843~1902)は、幕末から明治維新で活躍した人物です。

西郷従道邸庭園跡庭石

明治政府では海軍大臣、内務大臣などを歴任しています。

西郷従道邸庭園跡庭石の説明板

陸軍時代にはヨーロッパに渡り、軍の近代化をすすめています。

西郷従道邸庭園跡庭石

西南戦争では、兄・隆盛に加担せず、東京で陸軍の留守番をします。

西郷隆盛生誕地

その後も政府に残り、薩摩藩の重鎮といわれた人物です。

西郷隆盛生誕地

高麗橋

高麗橋

高麗橋は、高麗町と鍛冶屋町を結ぶ橋です。

石橋時代の高麗橋

1993年(平成5年)の8.6水害までは、4連のアーチ石橋でしたが、河川改修でかけ替えられています。

石橋記念公園の高麗橋
石橋記念公園の高麗橋

旧高麗橋は石橋記念公園に保存されています。

高麗橋の説明板

まとめ

高麗橋から見た甲突川

甲突川の左岸を、高見橋から高麗橋まで下りました。

明治初期の偉人たち

まさに、明治維新の息吹が感じられる歴史の道です。

歴史ロード維新ふるさとの道 門

さらに、甲突川左岸を進むと、維新ドラマの道が続きます。

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