本浦(もとうら)小学校は、かつて鹿児島県長島町にあった公立小学校です。
諸浦島(しょうらじま)のすべてが校区となります。
諸浦島
諸浦島は、長島の一部のように感じますが、長島半島とは陸続きではありません。
長島本島と諸浦島を隔てる海峡を乳ノ瀬戸といいます。
これは、干潮になると乳房の形をした岩が見えるためです。
現在は、乳ノ瀬橋のおかげで、まるで陸続きのように行き来しています。
島には、白瀬、本浦、葛輪と3つの地区があります。
そのうち、大部分が本浦(もとうら)地区となります。
そのため、別名を本浦島といいます。
諸浦港からは、獅子島の片側港経由、天草の中田港行きの天長フェリーが出ています。
学校遺構
閉校時の姿がほぼそのままの形で残っています。
校舎
2階建ての校舎は、やさしい2トーンの土色彩色です。
長島特有の赤土の畑と見事に調和しています。
埋めてある廃タイヤの色もまだ鮮やかです。
玄関側も見せていただきました。
掲示物も閉校時のまま残されています。
時計台のような塔の裏には、上水道用の給水タンクを載せてありました。
特に諸浦島のように大きな川のない島では、水は大事です。
体育館
体育館は淡い青緑系の彩色です。
長島の海をイメージできます。
かわいい絵の掲示が特徴的でした。
記念碑群
1971年(昭和46年)開拓パイロット事業刊行記念碑です。
「だんだんなあ」と感謝の身持ちが、ナイスなセンスで表現された秀逸な閉校記念碑です。
基礎部分には校歌が刻まれます。
そういえば諸浦島は、かつては東町(あずまちょう)でした。
長島町となったのは、2006年(平成18年)のことです。
りっぱな百周年記念碑、「清新」強よく学ぶ本浦っ子と書いてあります。
九十周年記念碑は「親愛」です。
世代が変わっても、本浦小学校のことが語り継がれることを願います。
沿革
1892年(明治25年) | 本浦小学校創立 |
1941年(昭和16年) | 本浦国民学校へ改称 |
1947年(昭和22年) | 東長島村立本浦小学校へ改称 |
1956年(昭和31年) | 東町立本浦小学校へ改称 |
2006年(平成18年) | 長島町立本浦小学校へ改称 |
2015年(平成27年) | 長島町立高巣小学校と統合 閉校 |
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