村所八幡神社は、宮崎県西米良村にある神社です。
征西将軍(せいせいしょうぐん)・懐良親王(かねながしんのう)をまつるため、大王さまの愛称を持ちます。
由緒
村所(むらしょ)地区は一ツ瀬川と板谷川の合流点にあり、昔から交通の要衝として発展しました。
村所八幡神社は、1357 年に征西将軍であった懐良親王をまつった大王宮が所が起源です。
15世紀に菊池氏の末裔が米良荘に移住し、米良氏を名乗るようになります。
1471年には、御川神社と合祀し大王宮御川神社となります。
1574年に、豊前宇佐八幡宮の社号を受けます。
村所八幡神社と称するようになったのは、1871年(明治4年)になってからです。
愛称は、懐良親王にちなみ「大王さま」となります。
西米良村天然記念物のスギ
ご神木は、500年も前から伝承されているというスギです。
斜面寄りに立っているためか、幹回りはそう大きくありませんが枝ぶりはリッパです。
西米良村内のスギとしては、大変な古株となっています。
米良家(菊池家)墓地
肥後国菊池氏の末裔といわれる米良氏は、米良地区へ移り住みこの地を治めています。
銀鏡(しろみ)城に居を構えた米良氏は、村所城、小川城と居を移しています。
米良氏は徳川家との関係が深く、交代寄合(譜代大名待遇)に列せられています。
5年に1度は、参勤交代をしていました。
江戸時代に、佐土原城から人吉藩に至るまでの道を米良街道といっていました。
現在の国道 219号線とは異なる尾根伝いの険しい山道で、米良荘は隔絶地域とまでいわれていました。
村所八幡神社の奥に、米良氏のお墓があります。
村所にあるのは、米良氏第4代領主、重鑑(しげかね)をはじめ、数人の領主と奥方の墓です。
このほか、銀鏡と小川をはじめ米良氏のお墓は領内に散在しています。
ご祭神
- 懐良親王(かねながしんのう)
- 良宗親王(りょうそうしんのう)
- 米良重為(めらしげたね)
- 米良重鑑(めらしげかね)
場所 宮崎県児湯郡西米良村大村所 12
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