日光神社は、鹿児島県曽於市にある神社です。

財部(たからべ)の地名の発祥ともいわれ、荘厳な鎮守の杜がその歴史を物語ります。
財部の地名の発祥

古代大和朝廷では財日奉部(たからのひまつりべ)という機関が置かれ、日本各地で日奉りという行事が行われていました。

日奉りは、一種の太陽信仰といわれています。

諸県地域の日奉りをしていたのがこの地で、その斎場跡で創建したのが日光神社といわれています。

太陽神・天照大御神が主祭神なのは、この日奉りを引き継いだものとも考えられます。

財日奉部(たからのひまつりべ)は、略して「財部」とよばれていて、この地の地名になったと伝わります。

由緒

訪れるまでは、てっきり栃木県の日光東照宮にまつわる神社と思っていました。

ところが伝わるのは、710年、京都加茂神社の神主・鴨頼長がこの地に下り、創建したのが日光神社です。

主祭神は、天照大御神ですが、相殿に加茂上下大明神をまつることから、加茂神社の流れを汲む神社といえます。

ご祭神

主祭神:
天照大御神(おまてらすおおみかみ)

相殿神:
加茂上下大明神(かもかみしもだいみょういじん)
豊受毘売命(とようけひめのみこと)
天小屋根命(あめのこやねのみこと)

かつては、2月の山の神祭りで、鉤木引(かぎひき)が行われ、俣の付いた木を山から切り出していました。

男鈎と女鈎を合わせかけて、大勢で引いて勝負をしたといわれます。

北俣と南俣は、この鈎木引からついた地名と伝わります。

しかし、例祭での流鏑馬も含め、鈎木引は明治時代になると途絶え、現在は見ることができません。

ご利益

農業・産業・商業の繁栄
厄除け・招福・家内安全
交通安全・学業成就・工事安全

日光神社は荒御神、つまり荒々しく勇猛な神霊として知られます。

庄内の乱

日光神社周辺は、1599 年の島津氏の内乱・庄内の乱の舞台となっています。

財部城を拠とする伊集院氏と、宗家の島津氏が激しく争いました。

最終的には、徳川家康の仲裁により解決しています。

内乱が治まると、あの島津義久公が日光神社に参拝したといわれています。

しかし、庄内の乱が原因で、1600年の関が原の戦いには、薩摩から大軍を送れなかったといわています。


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